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第14話
「やっぱさー、妻と学生との両立ってのは難しそうだし」
妹の代わりに家事万端取り仕切ってほぼ一週間。おおよそ職務内容については把握したし、神崎のことを満足させていると柊は思っていた。
退屈を感じるほどの余裕すらある。
だが学校へ通うとなると、まったく話は別だ。『夫』たる神崎が会社でなんの不安もなく働けるよう、『妻』として完璧な家庭を作り上げる。それだけの時間は到底取れなくなる。
どちらかを取らなければいけないとしたら――柊にとって、考えるほどのことでもなかった。
「ひとまず休学、かな」
「し、柊!なに言ってるんだい!」
柊は実にあっけらかんとしすぎている。
「大学、行かなきゃダメだろ!」
「えー、だって…」
だから言いたくなかったんだよなぁ。
ぼやく柊は不満げな顔をしている。
「聞かなかった、知らなかったコトにしてくんない?」
「バカなこと言ってる場合じゃない!!!」
よくよく話を聞けば、柊は大学4年生。専攻分野のせいもあって、学校での拘束時間はかなり長くなるらしい。
「だからさ、学校行くといろんな差し障りが出てくるわけ」
「どんな差し障りがあるっていうんだ!」
「日があるうちに洗濯もの取り込めないもん」
「洗濯物なんて、乾燥機だってあるだろ」
「お日様で乾かすのがいちばんだって」
それに、と柊は宙を睨んでから付け加える。
「スーパーだってさ、遅い時間に行ったら特売品は売り切れてるし。あと、午前中行くと前日焼きのパンとか半額なんだぜ。すっげえお得!学校なんて行ってる場合じゃないって!!」
呆気にとられて声も出なかった。
高々それだけの理由の為に…。
いたいけな若者の未来まで自分が潰してしまうのか。頭をかきむしりたい心境だった。
そんな男の懊悩など露知らず、柊の軽い調子で、
「だからとりあえず1年、休学しようかって思ってるんだけど。それでだめなら退学だな」
などと嘯いている。
神崎は必死で懐柔する。
「だ、だって、そのほら、楓さんは結婚後も学校に通う予定だったでしょ。柊だけが学校に行かないなんて変だろ?」
そう楓だって女子大生妻だったのだ。柊が大学生であるのに何の支障があるというのだ。
「あれは本妻だからさ、いいんだよ。ピンチヒッターはきっちり仕事してこそ価値があるわけだし。学校行って半端にしかおまえの世話ができなくなるの、自分が嫌なんだよ」
こともなげに柊はお茶なんぞを淹れ始めている。
目眩がしてきた。
学問も。卒業も。就職も。
すべてを投げ打って自分の為に尽くそうという、一昔どころか100年くらい前の『新妻鑑』的精神の前に、神崎ができることはテーブルに頭を擦り付けて哀願することだった。
「気がつかなくてごめん!学校行ってください、お願いだから!!」
「明雅?」
きょとんとして見返してくる。神崎はずきりと胸の奥が痛むのを感じていた。
「休学も退学もなし。学校は行かなくちゃダメだ。月曜日から登校するんだ、いいね?」
「――でも」
「でも、じゃない!」
語気も荒く言い放ち、湯飲みを握った柊の手を両手で包み込んだ。
「お願いだから。こっちは自分の妻が一週間もの間、登校拒否しているのに気が付かないようなバカ夫だ。というか、妻が学生であることすらわかっていなかった。そんな気遣いの心のカケラもない夫でも許してもらえるのなら、どうか学校に戻ってください!」
「離せよ」
ぎゅっと握り締めてくる神崎の両手を、柊は振り払った。
「柊!」
心臓を射抜かれたようなショックに、思わず神崎の声が引き攣る。
「そ…そんなっ、まるで汚いものみたいに」
「違う!湯飲みが熱かったんだって!」
ひらひらと手を振りながら、睨み上げるように柊は神崎を見つめた。
「ったく、融通のきかねえダンナだな。オレのことなんか気にすることないのに」
「……ごめん」
無愛想な物言いに神崎は些か萎れたが、柊の頬がほんのりと赤みを帯びているのに気がついた。
「ま、でも。そこまで言ってくれるなら。月曜からまた学校行かせてもらう。ありがとな!」
「ほんとに!?」
「なんでおまえがそんな喜ぶんだよ」
問われたって神崎にもよくわからない。ただ柊が喜んでいるから、自分も嬉しいのだろうと思う。
「とにかく!家の中のことも、できる範囲で頑張るようにするから――悪いけどよろしく」
気持ち頭を下げて見せる、そんなところがいかにも柊らしくて、ついつい舞い上がってしまう神崎である。
「こちらこそよろしく。でもあまり無理はしないで、学生はまず勉強。余力を家事にまわしてくれればそれで十分なんだから」
神崎も頭を下げる。柊は照れたように視線を逸らし、つっけんどんに答えた。
「わかってるっての」
そこから再び箸を取り、途中だった夕食の続きを始める。なんでもなかったように。
神崎も慌てて箸を取った。
彼は素直で、温かくて、優しい人だ。
一見、いつも仏頂面して不機嫌なように見えるけれど、慣れて来ればむっとしたようなその表情の裏側に、驚くほどたくさんの感情が溢れているのがわかる。
心を許してくれるたび、どんどんと彼の眸が雄弁になる。
可愛い、人だ。
毎度、神崎は思うけれど口には出さない。絶対に。そんなことをチラリとでも耳にしたら彼は怒り出すから。
「弁当は、今までどおりに作る。オレも持っていくから
」
今だって面倒くさそうな言い草の裏に、神崎に対する思いやりが溢れかえっている。
「よろしくお願いします」
神崎から生真面目に頼まれたのが恥かしいのだろう、急に柊が慌てだす。
「その、ひ、ひとつ作るもふたつ作るも、えーと、手間は…かわんないから」
「お揃いの愛妻弁当」
「うっ…」
「柊がお昼に同じものを食べてると思うと、きっと余計に美味しく感じるだろうね」
「――うるさい!」
「ごめん」
思ったとおりの反応を示す彼が面白くて、ついからかうようなことを言ってしまう。そしてしまいには怒らせてしまう。
伏し目がちにして黙々と箸を動かす柊。
どうしても彼から目を離しがたい神崎。
「さっさと食えよ」
「はい」
お叱りを受け、和やかかつ幾分の緊張を孕んだ夕餉は続けられた。
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