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第22話

 行為の余燼でじんわりと熱を帯びた身体を辛そうに動かして、柊は神崎に背を向けてしまった。  多分顔を見られたくないからだろう。  嫌われているわけでも嫌がられているわけでもなく、彼は恥ずかしくてたまらないのだと、今の神崎ならよくわかる。  怒ったみたいなその肩口が逆になんだか頼りなくさえ見えて、肩甲骨にひとつキスを落とした。 「このまま眠っていいよ。明日の朝、一緒に風呂に入ろう」  身体の汚れを拭ってやって、背中から包むように抱きかかえて囁いた。こちらに向けて晒された項がさっと赤くなった。  一瞬おいてから、柊はこくんと頷いた。 「それから……君の実家には、やっぱり俺も行く」 「なんで?」  ちら、と神崎を顧みて、目が合った途端まずいものでも見たかのように慌ててそっぽを向く。  彼の仕種や言葉やひとつひとつ、すべてが神崎の心を和ませる。傍にいると、自分が「いい人」になっていくような気さえしてしまう。  手触りのよい髪をそっと梳きあげてやり、 「お義父さんに、きちんとご挨拶しないと」 「はぁ?あいさつ…って」  神崎は精一杯の慈しみを、声に込めた。 「楓さんとのことは白紙に戻して、君のことを――真剣にお付き合いしていくつもりだと」 「なっ!?」  振り返ろうとするのを押しとどめるように、柊を抱き込んだ腕に力を込める。 「楓さんだって結婚が破棄になると耳にしたら安心して帰ってこれるでしょう。俺も、これ以上『代打』なんかで君と居るのは嫌だ。正真正銘、雨宮柊と暮らしたい…ほかの誰かの代わりじゃなく。そのことを明日、お話にあがろうと思うだ」  柊は身体を僅かに震わせると、胸の辺りに回されていた神崎の腕をきゅうっと握りこんだ。  神崎は薄く微笑む。 「もちろんお義父さんは驚くだろうけど、それでもちゃんと立場を明確にしておきたい。やましいところはないから」 「そんなことしなくっていい。その、今までどおり、ふたりでいられりゃ…それでいい」  歯切れ悪くぼそぼそ呟く柊の耳元に、神崎はからかうように問いかける。 「柊ってば、もしかして恥ずかしいの?」  その耳朶が、目の前で色を濃くするのに驚きと喜びを覚えながら、 「俺とこうなったことを知られたくない?」 「そ、そういうわけじゃ…」  じり、と小さく身じろぎをして、柊は早口の小声で呟く。 「うちの父親だって、オレとおまえがこうなるのをまるっきり考えてなかったってことはなかったんじゃないかな…というか想像はしてた、かもとか…思ったりしないでもないってゆうか…だから別に取り立てて何も言わなくたっていいんじゃないかっ、てことで…」 「柊…」  今にして思う。彼がどれほどの覚悟を持って、自分の元にやって来たのか。  それを微塵も察してやろうとしなかった己の無神経さに腹が立つ。そしてなにより情けない。 「仕事とプライベートは関係ないなんて言ったけど、あんなの嘘だ」  彼の為。そう考えるだけで力が湧く。自分のできることなら何でもしてやりたいと思う。 「君にはしっかり勉強してもらって、いずれお義父さんの跡を継いで事業を盛り立てていって欲しい。それまでに俺が会社を立て直す、全力を尽くして」 「跡を継いでって、それはおまえが、」  娘婿として、神崎がいつかは代表の座に納まるであろうことは周知の事実であった。でなければわざわざ苦境にある雨宮の会社に、婚姻関係を結んでまで助力にやってきたりするだろうか。 「あなたが跡目を取ったほうが社員との軋轢も生まないですむ。必ず役に立って見せるから、傍で仕えさせて」 「でっ、も」  彼が躊躇うのは当然だと思うから、神崎はただ柊の身体を抱きくるんでいた。 「それが、君の隣に俺がいられる一番自然な方法だ」 「だけど!お飾りの社長に、お情けでなるなんてオレは嫌だ!」 「だから!しっかり勉強してって言ってるんだ。実力がないと見極めれば諦めるけど、君は努力家で人の痛みを知っている。きっといい経営者になるよ」  くっ、と柊は唇を引き結んだ。 「俺も努力するから。君も努力して。そうしてふたり力を合わせて、ずっと進んでいけるように。いつまでも一緒にいられるように」 「おまえは、」  柊の声に力が入る。神崎の腕を振り解くようにして身体を返し、真っ直ぐに瞳を合わせてきた。 「おまえは――そんなんで、いいのかよ。オレなんかにかまけて自分の未来潰して。おまえの人生って、そんな簡単なのかよ」 「簡単だよ」  こんなに簡単なことが今までわからなかったなんて、どうかしていたとしか思えない。  神崎はなんの躊躇いもなく言った。 「君が幸福なら俺も幸福だ。簡単だろ?」  柊が大きく目を見開いた。  神崎の大好きな、深い琥珀、温かい瞳。  あきまさ。  囁くようにそう呼んでくれるこの人を、好き過ぎて気が狂いそうだ、と神崎は思う。  彼もいつか、俺の幸せを自分の幸せと感じてくれる日が来たら嬉しい。 「明日。そのあたりも含めてお義父さんに話をして、それから胸を張って一緒に暮らしていこう。いいでしょう、柊」  頷く仕種で、神崎の喉元に柔らかな髪が触れた。  甘く漂うシャンプーの香りを胸一杯に吸い込む。 「じゃあ、おやすみ。疲れたでしょう。ゆっくり休んで」  すっと柊が頤を上げ、え、と思った時には軽く唇が触れ合っていた。 「おやすみ、明雅」  ぶっきらぼうにそう言って、ぽふりと神崎の胸元に顔を埋めたと思ったら、じきに寝息が聞こえてきた。  苦笑して、神崎も眼を閉じる。  狭いベッドに男がふたり、縮こまるように身を寄せて横たわって。  それなのになんだか気持ちよくて、いつの間にか神崎も深く深く眠り込んでいた。  翌朝。  ご多分に漏れず、どちらが朝食を作るかですったもんだがあり、結局口では神崎に勝てない柊はベッドの中でトーストをかじることになった。 「朝っぱらからこんなことするんなら、もう二度とおまえとは寝ない!」  ふくれっつらでそう言う彼に、許してくださいすいません、と頬にキスしたりする。 「おまえって、変なやつ」  寄り添ってくるでかい図体を押しのけながら、柊は睨みつけるが、 「柊がほっぺにパン屑つけてるからいけない」  神崎はいけしゃあしゃあとそう答える。  「そんなものつけてない!」  頬にさす朱の色の美しいこと。  思わず見惚れていると、拳が飛んできたりするので、一時も気を抜いてはいけない。自戒しながら神崎は空になった皿をキッチンへと運んだ。  のんびりとした朝を過ごし、やがてふたり揃って車に乗り込み、柊の実家に向かう。 「あ、ちょっと待て」  先日、一緒に買い物に立ち寄ったスーパーの手前で柊が思い出したように言った。 「悪い。買いたいものあるんだけど、寄ってもらってもいいか?」 「いいよ」  まだ空いている駐車場に車を止め、柊の後について神崎もスーパーに入る。  2Fの家庭雑貨売り場で、柊は足を止めた。 「これこれ!」  手に取ったのは、神崎が使っているのと同じ弁当箱。 「明日からオレも弁当じゃん?おまえとお揃いのやつ、あったら欲しいなとか思ってさ」  恥かしがりやなのか、そうでないのか。内心首を傾げながら、神崎はそうだね、と答えた。  別々の場所で、お揃いの弁当箱に詰まった同じおかずをつつくなんて、すばらしい贅沢だと思う。  柊はこそばゆいような笑顔を浮かべている。  その時、柊のポケットでスマホが鳴った。 「あっ!」 「電話、出ていいよ。それは俺が買ってくるから」  柊の手から弁当箱を取って、レジに向かう。 「わるい、」  言いながら柊が通路の隅に寄り、ポケットからスマホを引っ張り出すのを、神崎は振り返って眺めた。  誰からだろう。  なにを話しているのだろう。  こちらに背を向けるみたいにしたのが気にかかったが、会計の順番が回ってきたので、神崎は意識を柊から離した。

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