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閑話・夢中夢

 悪い夢を見ていた。  長い悪夢の始まりは一体いつだったのか。最早思い出すことすら出来ない程、長い(現実)。  泥濘の中を藻掻き、足掻き続けた日々。  そうして辿り着いた先の世界で、私は一振りの刃を掴んだ。  水が降っている。  目覚めて最初に感じたのは、身体を濡らす冷たさと、地面の硬さ、絶えず続く雑音だった。  長らく閉じ込められていた、狭く不衛生な石牢とも、懐かしき故郷の砂地とも違う。 (此処は何処だ。私は何故、此処に居る?)  靄の掛かった思考に疑問が浮かぶ。が、何も解からない。周囲の状況を確認したいが、手も足も石のように重く、己の体というのにまるで自由が効かない。  ざあざあと降りかかる水に為す術もなく体温を奪われ、己の中で命の火が弱まっていくのを感じる。 (私は――死ぬのだろうか)  これまで幾つもの苦痛と屈辱に耐え、生き汚く足掻いてきたが。最期はなんとも呆気ないものだ。  静かな諦念が胸を覆っていく。もう瞼を開けて居られない。  その時、何かが私の身体を揺さぶった。 『……い、大丈夫……?』  人間の声だ。微かに耳に届くそれは、確かに人の声だった。  言葉の意味は分からずとも、敵意も害意も含まない響きは解かる。そんな穏やかなものが己に向けられたのは何時ぶりだろう。  傍らの体温が移り、消え掛けの命の火が再び力を取り戻していく。 (死にたくない)  手元を掠めたソレをきつく握り締める。温かい。  ずっと触れて居たかったが、掴んだ者が叫んで暴れ出す気配があったので、咄嗟に別の場所を握り直した。 『……あのー、もしもーし……』  困ったような声音が耳に届く。だが、纏う気配はよく研がれた刃のように鋭い。  昔、自由に平野を駆け回っていた頃。私の手にはいつも鉱石のナイフがあった。懐古と共に思い出す黒い刃身。ゆっくりと頭を持ち上げ、重い瞼を押し開けば、其処には記憶とよく似た黒が在る。 (まだ、終わりたくない)  目も耳も、腕も、鈍ってはいるがまだ動く。  右手から伝わる熱が冷え切った身に染み入り、心の臓を力強く脈打たせる。 (生きている) (私は、まだ生きていたい)  それだけが私を突き動かしていた。  掴んだ手は払われず、殴られ嬲られる痛苦もやってこない。  それどころか、黒の主は私の身体を地面から起こし、肩を支えて歩き出した。 (ああ…悪夢は終わったのか)  再び瞼が重くなり、世界が黒く閉じていく。  だが、もう恐ろしくはない。黒い刃が暗い泥沼を切り裂き、一筋の光が差し込む。その向こうの景色は一体どんなものだろう。  久方ぶりの安堵に身を任せ、私は温かい水底に意識を沈めた。

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