14 / 26
2-2
さて、先ず何から尋ねるべきか。気になることは山ほどあるが。
「あーっと……あんた、身体は平気ですか?痛い、ない?」
取り敢えず、先に会話を続けられる状態かを確かめるべきだろう。いくら向こうから乗っかってきたとはいえ、怪我人に無体を働いた上に、硬い床でマットレス代わりにしていた訳で。見た目には平然としているが痩せ我慢かもしれない。
ざっと目視で傷の具合を確認してみる。褐色の肢体は何度見ても羨ましくなる逞しさだ。分厚い筋肉に覆われた四肢と胴体。刺青の刻まれた太い腕。そしてあちこち散らばる古傷―――そこまで確かめて、はたと気付く。
「傷が治ってる……?」
昨晩見た時には、もっと沢山の生傷や痣がついていた筈だ。けれど今、男の身体にあるのは完全に塞がった傷痕ばかりで、瘡蓋さえ殆ど残っていない。一番酷かった内股もだ。
「ぱっと見、手当てが要りそうなのは無くなってますね……え、なんで?」
「傷、治す、魔力、使った」
「はい?」
「治癒魔法」
「ちゆまほう?」
「ん。魔力、使う。魔法。怪我、治す」
「えー……ちょっと待ってください、頭整理するんで」
言葉が通じるようになった筈なのに、いきなり訳が分かないことを言い出した男に瞠目する。
魔法。魔力。そんなもの現実に存在しない。今日日子供でも解ることだ。
しかし、男の表情には嘘や揶揄いの色は見られない。寧ろ、何故そんな当然のことを聞くのかと言わんばかりの真顔である。
「いやいやいや、魔法とか魔力とか言われましても。何、あんた魔法使いなんです?ゲームのやりすぎで現実とごっちゃになってるタイプの人?」
「げーむ……何?」
「そこは通じねえのかよ。魔法だか何だか知りませんけど、そんなもんある訳ないでしょうが」
もしかしたら本当にマホウもマリョクも男の母国語で、たまたま日本語に似た響きの単語があるだけかもしれない。というか、そちらの可能性を考える方がまだ現実的だろう。
溜め息と共に、掴んでいた手首を放り出す。別の意味で頭が痛くなってきた。
と、男の目がすうと細くなる。目線が何かを追い掛けているのに気付くと同時、グローブみたいな手がぬっと伸び、俺の右手を握り寄せた。
「っ…!」
びくりと肩が跳ねる。節くれだった手は俺の二倍はありそうな程に大きく、分厚く、そして温かい。驚き手を引っ込める間もなく、手首を柔らかく握り込まれる。見た目からは想像つかない優しい手付きだ。何故か顔に熱が集まってくる。だから何を動揺してるんだ俺は。
「な、何ですか、何か言いたいことでも?」
「傷、ある」
「はい?……ああ、やっぱりまだどこか怪我してるんですか。どの辺が痛いんです?」
「ここ」
とんとん、と男の指が俺の手の甲を叩く。右手の甲か。だが、男の褐色の肌には仄白い古傷と、浮き出た血管の筋しか見当たらない。
外見では判別し辛い怪我だろうか。もっとよく見ようと顔を近付ける。と、男は小さく息を吐き、俺の手をぐいと持ち上げて眼前に突き付けてきた。
「ここ。あなたの、手。傷、ある」
「ええ?……あ、本当だ」
言われて見れば、男が指で触れた隣に擦り傷が出来ている。昨日の仕事中についたか、それともセックスの最中に何処かぶつけたか。血は止まっているが中々派手に擦り剝いたらしい。
といっても、目の前にいる傷だらけの男に比べたらこんなもの。物の数にすら入らない軽傷だ。言われるまでまったく気付かなかった位であるし。放っておいても3、4日で治るだろう。
「この位平気ですよ。それより自分の心配をしたらどうで……ひぅっ?!」
言いかけた嫌味は途中で素っ頓狂な声に変わった。男が握ったままの俺の手を引き寄せ、迷いない仕草で口元へ運び――温かく濡れたものが傷に触れた所為で。
「な、な……!」
動揺のあまり二の句が継げない俺を他所に、厚い唇が肌を啄み、舌がぬるりと傷口をそっとなぞっていく。軟体動物のような柔らかい感触。傷口が沁みるのに眉を寄せれば、太い指が優しく手首を撫でて。
唇の柔らかさやら、濡れた舌の赤さ、伏せられた睫の濃さやらがやたら目に付く。時折立つ水音が生々しくて、いっそ耳を塞いでしまいたいのに身動ぎも出来ない。
どれくらいの時間が立ったか。ちゅ、と軽い音を鳴らして男が顔を上げ、俺は漸く我に返った。
「ん。これで、良い」
「な、な、何、何してんですかあんた」
「傷、治す、魔法」
「~~~ッ!だから、魔法なんてある訳な――、え?」
不思議そうに首を傾げている男。濡れた唇を舌で拭う所作がやけにエロい、とか、茹だった脳味噌をぐるぐる回る。
思わず声を荒げた俺の台詞はまたしても途中で途切れた。
「……マジで治った」
視界に映る俺の右手から、傷が綺麗に消えていた。見慣れた色の皮膚は唾液でてらてら濡れているだけで、瘡蓋どころか傷の痕も無い。
さっきまで確かに傷があった。舐められて痛みも感じた。なのに、今は綺麗さっぱり跡形もない。一体どういう絡繰りなんだ。
自分の手をまじまじ眺めてから、男に視線を戻す。と、太い首がゆっくりと逆側に傾ぎ、頭上から垂れる兎の耳がぱたりと動いた。
そうだ、兎耳。
ついでに尻には短い尻尾も生えている。
「そもそも常識で測れる生き物じゃなかったですね、あんたは……獣耳生えた人間が存在してるんだから、奇跡も魔法もあっても不思議じゃないですよね、たぶん」
何かタネがあるのかもしれないが、傷が消えたのは事実だ。自分が知らないモノを存在しないと思い込む程愚かな事は無い、し。驚きが過ぎれば、寧ろ増々この男に興味が湧いてきた。
ともだちにシェアしよう!