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 さて、先ず何から尋ねるべきか。気になることは山ほどあるが。 「あーっと……あんた、身体は平気ですか?痛い、ない?」  取り敢えず、先に会話を続けられる状態かを確かめるべきだろう。いくら向こうから乗っかってきたとはいえ、怪我人に無体を働いた上に、硬い床でマットレス代わりにしていた訳で。見た目には平然としているが痩せ我慢かもしれない。  ざっと目視で傷の具合を確認してみる。褐色の肢体は何度見ても羨ましくなる逞しさだ。分厚い筋肉に覆われた四肢と胴体。刺青の刻まれた太い腕。そしてあちこち散らばる古傷―――そこまで確かめて、はたと気付く。 「傷が治ってる……?」  昨晩見た時には、もっと沢山の生傷や痣がついていた筈だ。けれど今、男の身体にあるのは完全に塞がった傷痕ばかりで、瘡蓋さえ殆ど残っていない。一番酷かった内股もだ。 「ぱっと見、手当てが要りそうなのは無くなってますね……え、なんで?」 「傷、治す、魔力、使った」 「はい?」 「治癒魔法」 「ちゆまほう?」 「ん。魔力、使う。魔法。怪我、治す」 「えー……ちょっと待ってください、頭整理するんで」  言葉が通じるようになった筈なのに、いきなり訳が分かないことを言い出した男に瞠目する。  魔法。魔力。そんなもの現実に存在しない。今日日子供でも解ることだ。  しかし、男の表情には嘘や揶揄いの色は見られない。寧ろ、何故そんな当然のことを聞くのかと言わんばかりの真顔である。 「いやいやいや、魔法とか魔力とか言われましても。何、あんた魔法使いなんです?ゲームのやりすぎで現実とごっちゃになってるタイプの人?」 「げーむ……何?」 「そこは通じねえのかよ。魔法だか何だか知りませんけど、そんなもんある訳ないでしょうが」  もしかしたら本当にマホウもマリョクも男の母国語で、たまたま日本語に似た響きの単語があるだけかもしれない。というか、そちらの可能性を考える方がまだ現実的だろう。  溜め息と共に、掴んでいた手首を放り出す。別の意味で頭が痛くなってきた。  と、男の目がすうと細くなる。目線が何かを追い掛けているのに気付くと同時、グローブみたいな手がぬっと伸び、俺の右手を握り寄せた。 「っ…!」  びくりと肩が跳ねる。節くれだった手は俺の二倍はありそうな程に大きく、分厚く、そして温かい。驚き手を引っ込める間もなく、手首を柔らかく握り込まれる。見た目からは想像つかない優しい手付きだ。何故か顔に熱が集まってくる。だから何を動揺してるんだ俺は。 「な、何ですか、何か言いたいことでも?」 「傷、ある」 「はい?……ああ、やっぱりまだどこか怪我してるんですか。どの辺が痛いんです?」 「ここ」  とんとん、と男の指が俺の手の甲を叩く。右手の甲か。だが、男の褐色の肌には仄白い古傷と、浮き出た血管の筋しか見当たらない。  外見では判別し辛い怪我だろうか。もっとよく見ようと顔を近付ける。と、男は小さく息を吐き、俺の手をぐいと持ち上げて眼前に突き付けてきた。 「ここ。あなたの、手。傷、ある」 「ええ?……あ、本当だ」  言われて見れば、男が指で触れた隣に擦り傷が出来ている。昨日の仕事中についたか、それともセックスの最中に何処かぶつけたか。血は止まっているが中々派手に擦り剝いたらしい。  といっても、目の前にいる傷だらけの男に比べたらこんなもの。物の数にすら入らない軽傷だ。言われるまでまったく気付かなかった位であるし。放っておいても3、4日で治るだろう。 「この位平気ですよ。それより自分の心配をしたらどうで……ひぅっ?!」  言いかけた嫌味は途中で素っ頓狂な声に変わった。男が握ったままの俺の手を引き寄せ、迷いない仕草で口元へ運び――温かく濡れたものが傷に触れた所為で。 「な、な……!」  動揺のあまり二の句が継げない俺を他所に、厚い唇が肌を啄み、舌がぬるりと傷口をそっとなぞっていく。軟体動物のような柔らかい感触。傷口が沁みるのに眉を寄せれば、太い指が優しく手首を撫でて。  唇の柔らかさやら、濡れた舌の赤さ、伏せられた睫の濃さやらがやたら目に付く。時折立つ水音が生々しくて、いっそ耳を塞いでしまいたいのに身動ぎも出来ない。  どれくらいの時間が立ったか。ちゅ、と軽い音を鳴らして男が顔を上げ、俺は漸く我に返った。 「ん。これで、良い」 「な、な、何、何してんですかあんた」 「傷、治す、魔法」 「~~~ッ!だから、魔法なんてある訳な――、え?」  不思議そうに首を傾げている男。濡れた唇を舌で拭う所作がやけにエロい、とか、茹だった脳味噌をぐるぐる回る。  思わず声を荒げた俺の台詞はまたしても途中で途切れた。 「……マジで治った」  視界に映る俺の右手から、傷が綺麗に消えていた。見慣れた色の皮膚は唾液でてらてら濡れているだけで、瘡蓋どころか傷の痕も無い。  さっきまで確かに傷があった。舐められて痛みも感じた。なのに、今は綺麗さっぱり跡形もない。一体どういう絡繰りなんだ。  自分の手をまじまじ眺めてから、男に視線を戻す。と、太い首がゆっくりと逆側に傾ぎ、頭上から垂れる兎の耳がぱたりと動いた。  そうだ、兎耳。  ついでに尻には短い尻尾も生えている。 「そもそも常識で測れる生き物じゃなかったですね、あんたは……獣耳生えた人間が存在してるんだから、奇跡も魔法もあっても不思議じゃないですよね、たぶん」  何かタネがあるのかもしれないが、傷が消えたのは事実だ。自分が知らないモノを存在しないと思い込む程愚かな事は無い、し。驚きが過ぎれば、寧ろ増々この男に興味が湧いてきた。

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