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わざとらしい咳払いで話を打ち切り、卓袱台にぶん投げたスマホを再び手に取る。さっきは調べものを優先したが、画面には数件の通知が表示されていた。どうせ全部DMと仕事関係だ。急ぎの要件もないだろう。
投げやりに画面をタップしながら、ふと、男がそわそわと俺を見ているのに気付く。正確には俺の手元。無視してメッセージの返信を始めたものの、男の視線はじっと手元に注がれたまま動かない。 だんだん気まずくなってきた。俺は一つ溜息を吐いて、作業を中断する。
「何なんですかもー、別に面白いことはしてないですよ」
「面白い。それ、板、何?光る、色、変わる」
「『板』て。まさかスマホも見たことなくていらっしゃる?」
「すま……何?」
「マジか。えー…電話とかメールとかネット……調べものとか、色々できる機械ですよ」
「で、電……?」
「そこからかーァ」
噛み砕いて説明した心算が、初手から躓いていたとは。どうやら本気で不思議がっているらしく、男の表情はあくまで真剣で、液晶画面をじっと見つめている。初期設定そのままの壁紙なんて面白味もないのに。
デジタル時計の数字が変わる度にぴくっと兎耳が動き、一つ目の瞳孔が丸く大きく開く。全く未知のものを目にした雰囲気だ。
今時よほど未開の地でも電化製品くらいは目にする機会があるだろう。アフリカの先住民族だってスマホを使いこなす時代だ。なのにこの様子、どうも演技には見えない。長期間監禁されていて外界の情報をまったく知らない可能性もあるが。
(マジで異世界から来てたりしてなァ)
スマホが無くて魔法がある、兎の耳と尻尾を生やした人間が当たり前の世界。それが俺の知る地球上にあると仮定するより、全く別の異世界と考えた方がまだ想像し易い。
そんなことをつらつら考えながら、俺はスマホの向きを変え、男の方へにじり寄る。隣に座る男にも画面が見えるようにしてやりつつ。
「電話っていうのは……あー、遠くの人と話せる道具のことです。で、この板も電話の一種なんですよ。他にも色々出来ますけど。取り敢えず、こうやって画面に触るとーぉ」
「!?絵、変わった…!何故?魔力、感じない、何故?」
「ふは、魔法じゃありませんよ。誰が触っても同じように変わります。試しにやってみます?」
「さわっ……壊れる、ない?」
「大丈夫だいじょーぶ」
頷いてやれば、恐る恐る手を伸ばして来る。よほど緊張しているのか、節くれ立った指が小刻みに震えるのが面白くて、俺は必死で笑いを噛み殺しながら顛末を見守った。
しかし、その指先が画面に触れて、ぱっと表示が移り変わった瞬間。巨躯が跳ねた。
「!!!!?」
「うおっ」
びょっと音を立てて宙に浮く。安普請の床が軋み、畳みが擦れる音。気付けば、男は一跳びで壁際まで飛び退っていた。
全身を緊張させ壁にびったり張り付く姿に、俺はとうとう耐え切れず噴き出した。
「ぷっ……ははは!オッサン、ビビりすぎ…!」
「ッ、ウ゛う、■■■■…!?」
「しかも何言ってるかわかんねえし……ひひ、動画撮っときゃよかった」
男は目を丸くしてスマホを凝視している。そのまま、壁に沿ってじりじりと距離を取ろうとするものだから、もう面白くて仕方ない。俺はゲラゲラ笑って卓袱台に突っ伏す。小動物か。確かに兎だけれども。
漸く笑い止んだ時、男はもう平静に戻っていた。否、憮然とした顔で俺を見ているけれど、褐色の頬が薄ら赤らんでいる所為で迫力に欠ける。
「いやァすみません、楽しくってつい」
「……」
「ふはっ、そんなに睨まないでくださいよ、怖いなぁ」
そう嘯いて、俺は再発しそうになる笑いを堪えつつ、手元のスマホを操作する。メールの返信より先に通販サイトを開いた。
「おじさん、服のサイズいくつ……って、分かんないか。適当に大きいの買っちゃいますねー」
「服?」
「俺のじゃきついでしょ。あんたが元々着てたのも服っていうかボロキレでしたし、もう捨てちゃったんで」
「でも、悪い」
「別にあんたのためじゃないですよ。俺の服ダメにされたくないし、それに……」
「それに?」
「……や、なんでもないです」
申し訳無さげに肩を竦める男を適当に宥めつつ、さっさと服を選んで注文まで済ませた。服一式と下着を揃えるくらい大した負担でも無い、し。
言いかけた言葉を飲み込んで、スマホの画面を眺めるフリで男の方を盗み見る。筋肉に覆われた身体は分厚く、大きく、二の腕なんてTシャツの袖がはち切れんばかりに太い。
だがそれ以上に、胸元の膨らみ具合に目が行ってしまう。巨乳グラドルもびっくりの肉付きのよさだ。丸みを帯びた形といいふかふかで柔らかな手触りといい、胸筋というかおっぱいだろ。
しかもサイズの小さいTシャツの所為で乳首の位置まで丸わかりになってしまっている。このままうろつかれたら目の毒だ、卑猥なことこの上な……
「いやいや待て、落ち着け?さっきから何考えてんだ俺、相手は男でおじさんで……って、何で脱いでんの!?」
「んん?」
沸いた思考から軌道修正を図るも、し損じた。
俺がおっぱいに気を取られている隙に、あろうことかTシャツの裾を捲り上げていたのだ。服を着ていてすら卑猥なのになんてことしやがる。
チョコレート色の肌が目に眩しい。割れた腹筋の隆起や、引き締まった腰、ちらちら見える下乳(大胸筋)に思わず生唾を飲む。
男は捲り上げた裾を顔に寄せると、静かに目を閉じる。すんすん鼻を鳴らして、どうやら匂いを嗅いでいるらしい。
まさか、臭いのか。臭うのか。洗濯はきちんとしているし、今まで誰かに指摘されたこともない。もし臭いなら地味に傷付くんだが。
ショックで呆然とする俺に、男は首を静かに横に振って微笑み。そうして、
「嫌、違う。あなたの匂い」
「俺の?」
「とても、良い、匂い。私、あなた、好き」
「すっ……!?」
野花が開くみたいな笑顔で繰り出された『好き』の二文字は、頭の沸いた俺を動揺させるに十分過ぎた。
「な、何言ってんですか、好きって、はあ?」
全身の血が勢いよく回って顔に熱が集まってくる。
いや待て、落ち着け。単に匂いのことを言っているだけだ。もし仮に俺自身へ向けられた言葉だとして、何故こんなに狼狽える必要があるんだ。なんて頭の中で言い聞かせても身体がついてこない。全身がかっかと火照り、ぶわっと吹き出す汗で手の中がぬるつく。
俺が大混乱している間、元凶たる男はというと、人の気も知らず実に自由に振る舞っていた。兎らしく鼻をひくつかせて服の匂いを嗅ぎ、布地に頬をすり寄せ、触り心地や伸び具合を検分している。 やがて満足したのだろう。捲り上げていた裾をあっさり戻し、此方に目を向けて、ぱちりと瞬きを一つ。
「あ」
「ッ…何です?何か文句でもあるんですか、今なら訴えて勝ちますよ?」
「それ」
「あァ?……あっ」
金色の瞳がゆっくりと下へ動くのに、つられて俺も下を向き―――そこでやっと、自分の股座が勃起しているのに気が付いた。
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