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ただゆうべは夕食後、孝弘は用事があるからと泊まらずに帰ってしまった。それがすこし寂しいと思ったのはさすがに内緒にしている。
甘えるのが好きだと自覚はあるが、こんなに構われたがりだとは思っていなかった。それともこれは今だけのテンションで、そのうち落ち着いていくのだろうか。
しかも孝弘は祐樹を甘やかすのがじょうずだ。もともとの性格がまめなのもあるだろうが、しっかり者だしどちらが年上だかわからない、と思うこともしばしばだ。
「でもなんだかんだいっても、やっぱ日本の魚がいいかなあ」
見た目も美しい盛り付けのヒラメの刺身を一切れつまむ。たしかに中国の刺身は期待できない。
最近ではまともな日本料理店も増えてきて、本格的な刺身や寿司を出す店もある。それでも高いだけで味はいまいちということがほとんどだ。
日本にいるあいだに、孝弘においしい刺身を食べさせてあげよう。どこがいいかな。祐樹はいくつか寿司屋を思い浮かべた。
ビールがほどよく回って、ふわふわと気持ちがいい。
孝弘と日本の居酒屋で食事をしているなんて、現実じゃないみたい。今でもちょっと信じられない気分だ。
好きな食べ物とかなにげない会話をかわすだけで楽しい。こうやって孝弘の情報が増えていくのがうれしい。考えてみれば、ほとんどなにも知らないのだ。
実家の場所さえも、この前の食事会で横浜だと聞いたばかりだ。それも父親の再婚後に引っ越した家なので、感覚的には実家じゃないけど、と言っていたが。
今は会社近くのウィークリーマンションを契約している。
そっと目をやるとばっちり視線が合ってしまってうろたえた。
「どうかした?」
「なにも。ただ…なんとなくうれしくて」
照れてしまってうつむきながら小声で言ったら、我慢できなかったようで、孝弘が祐樹を引き寄せてかるく口づけた。指先でつつっと唇をなぞり、そのまま頬を両手で挟まれた。
じっと目をのぞき込まれて、祐樹は居心地悪く身じろぐ。
孝弘はじっと目を見つめたまま顔を寄せてきて、今度はしっとり唇をふさいだ。
「はー、祐樹がかわいすぎる」
「…それはちょっと孝弘の目がおかしいと思うけど」
「なんで。ほんとだよ。めちゃくちゃかわいい、きれい、大好き。ちゅーして?」
試すように顔を突き出してくる。
恥ずかしかったが言葉を惜しまない孝弘に感謝して、祐樹は頬にキスをした。
長いあいだ、自分の心にブレーキをかけていたせいか、祐樹からはまだなかなか言うことができないでいる。顔が熱い。
「あー、だめだ。いうんじゃなかった」
孝弘が天井をにらむ。
「今すぐ押し倒したい」
聞こえた不穏なつぶやきに、祐樹の胸がことことちいさく踊りだす。
「だめだよ」
「うーん、個室だし。大丈夫だろ?」
「なわけないでしょ、ばか」
「うん、そうかも」
きょうは金曜日。
夜はまだ始まったばかりだ。
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