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 孝弘がシャワーから上がってきたとき、祐樹は中国側から渡された大連経済技術開発区に関する資料に目を通していた。  経済技術開発区は外貨と技術の導入を目的として、経済特区並みの優遇措置が採られており、中国語では略して単に開発区(カイファーチュ)という。  大連の北部郊外の金州区に設置されており、大連港の海岸線に沿ってエリア面積50平方㎞という広さを持ち、工業区、商業区、生活区に分かれている。  海外企業の進出も目覚ましいが日本から近いため、日本企業の進出がとくに多い地域で今後もさらに発展していくだろう。 「大連に行ったことあるよね?」 「もちろん」 「どんな街?」  孝弘はちょっと考えて、口を開いた。 「中国にしちゃ小綺麗な街だな。日本統治時代のなごりもあるから、年配者は日本語を話せたりもするから発言にはちょっと注意が必要かも。あからさまな敵意というより、経済発展を遂げた日本に対する嫉妬とか、中華思想からくる日本蔑視する人もいる。街中で小日本(シャオリーベン)(日本人に対する蔑称)とかいわれても反応しないこと」 「反日感情か。……日本統治時代って満州国のこと?」  映画ラストエンペラーを思い出しながら、祐樹が首をかしげる。  たしかあの最後の皇帝が満州国の皇帝にされていたはずだ。清朝最後の皇帝、愛新覚羅(アイシンカクラ)溥儀(フギ)。 「そう。関東州から満州国時代。中国人は満州国じゃなく、偽満(ウェイマン)て呼んでる。大体40年くらいかな。実はその前の日清戦争の後、ロシアの統治を受けてる。だからロシア統治時代の建築物も残ってて、そのあたりはちょっと異国情緒もあるよ」 「ロシア統治? 知らなかった」  日清戦争って…いつだっけ?   大連の歴史が簡単に載った本を開くと、1898年にロシアの租借地となり、ロシア時代にはダルニーという地名になっている。その後、日露戦争を経て、1905年から日本の租借地となり、大連と呼び名が変わった。 「ロシア統治は短い期間だったからね。現在、街自体はかなり発展していて、大連は不凍港だから貿易港としても有望だし、大連開発区は1984年に設置された最初の経済技術開発区で、政府も相当ちからを入れている。空港あり、港あり、物流の中心地で、将来有望なエリアだな。だから経済特区じゃなく開発区になったんだろう」  従来の経済特区は特区の名のとおり、対内的には閉鎖されていたのに対し、開発区は国内にも開放された点が大きな違いだ。当然、投資の規模が違ってくる。  どんな仕事になるだろう、とわくわくする。今後2年がかりのプロジェクト。  中国で計画通りになんていくわけがないから、最低でも5年は大連に足止めかもな、と安藤には揶揄されたが望むところだ。  孝弘と組める仕事なのだ、何年かかっても構わない。

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