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「ひとつ、持っていていただけますか?」 と、孝弘にビー玉くらいのスポンジボールを握らせ、そのあいだに今度はコインを使ったマジックを見せてくれる。 「うーん、なんで?」 「すごい、ふしぎ」  テーブルのうえにあったはずのコインがコップの中に入っていた。たねも仕掛けもあるとわかっていても、それがまったく見えないので、魔法を見ているような気分だ。  コインがぜんぶ消えたところで、マジシャンが孝弘に言った。 「そうそう、さっきのボールいただけますか? ゆっくり手を開いてください」  孝弘が警戒するようにそっと開いた瞬間、指の隙間から赤いボールがあふれてきた。  握りこんだのは1つだけだったはずなのに、どういう仕掛けなのか、片手からぽろぽろこぼれ落ちてテーブルに転がった。30個ほどもあるだろうか。 「えー、すごい!」 「嘘だろ」  最後に手のなかからちいさなピンクのバラを出して祐樹にプレゼントすると、マジシャンは魅惑的な笑みを残して去って行った。 「すごかったね」 「全然わからなかった。どんな仕掛けだったのか」  あちこちのテーブルで同じような反応があり、みんな高揚した気分でいるうちに港の明かりが近づいてきた。  楽しくて興奮した気分のまま船を降りて、のんびりと対岸の景色を見ながら桜木町方面へ海沿いの道を戻る。  日が落ちたので涼しくなり、散歩がてら歩くのに気持ちのいい風が吹いていた。  祐樹はポケットからカードを出して、名刺の文字をなんども確かめた。  トランプの模様はそのままに、数字の面だけが名刺になったままのカード。つるつるした手触りは最初からそうだったとしか思えない出来だ。 「ほんとにふしぎだったなあ。なんで、しか出てこない」 「うん、俺もこんなに間近に見てわからないとは思わなかった」 「こういうのだって知ってたの?」 「俺も初めて乗ったんだけど、マジックがあるのは聞いてた。こんな一つ一つのテーブルに来て目の前でやってくれるとは知らなかったけど。この船、どこの持ち物だと思う?」 「どこって、運営会社って意味?」 「そう。ある有名な会社が運営してるんだけど」 「…えー、わからない。意外な会社?」  孝弘が告げたのは、日本でも有数の大手お笑い芸能事務所だった。 「エンターテイメントを楽しめるクルージングってコンセプトらしいよ」 「へえ、きょうのマジシャンもそこの所属なのかなあ。孝弘、ありがとう。すごく楽しかった」 「どういたしまして。まだもうひとつプランがあって、それにもつきあってくれるとうれしいんだけど」  海からの涼しい風に吹かれながら、孝弘が楽しげに誘う。孝弘の笑顔につられて祐樹の気持ちもさらに弾んだ。ふたりで出かけるのがこんなに楽しいなんて。  今さらながら、きちんとしたデートというのが初めてなことを意識する。

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