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第8章 啓徳(カイタック)空港にて
金曜の昼発の便で、祐樹は香港に飛んだ。フライトは約5時間。
孝弘の用意したチケットはきちんと窓際の席で、香港ターンと呼ばれる90度方向転換をしっかり見ることができた。
海のうえに数多くの貨物船が浮かび、山側にそびえ立つビル群が見えて来たかと思ったらあっという間にゴルフ場やテニスコート、マッチ箱を並べたようなマンション群、高速道路に競馬場が見えてくる。
それらを過ぎると今度はネオンもまぶしい繁華街のビル群すれすれをかすめて、街中に突っ込むように滑走路に着陸していった。
こんなにきちんと見たことはなかったなと窓の外を見つめながら、無意識につめていた息をほっと吐く。そもそも飛行機で香港入りしたのは数えるほどだ。
それにしても、6月の平日だというのに飛行機は満席だった。
この光景もあと3週間ほどで見られなくなると名残惜しいと思う人間が多いのか、観光オフシーズンにも関わらず、ここしばらく香港行きの便はかなり売れているのだと孝弘は言っていた。
世界中から最後の啓徳 空港を見ようと空港ファンが訪れているらしい。
広州や深圳に駐在していたころは列車で香港入りしていた祐樹は、飛行機で香港入りしたことはあまりなかった。最後に飛行機で来ることになってラッキーだと思えばいいのか。
飛行機が着陸するなり、携帯電話を取り出してしゃべり始めるせっかちな香港人たちを横目に、祐樹はショルダーバッグから孝弘が用意してくれたサマーニットのカーディガンを取り出した。
エアコンが効きすぎている香港では薄手の上着は必需品だ。
仕事のときにはスーツなので、こんな上着を用意したことはなかったのだが、こういうところまで孝弘は至れり尽くせりで、ほんとマメだなと感心する。そしてそんな気遣いにうれしくなる。
孝弘がくれたそれはさらさらの肌触りが気持ちよく、大人っぽい雰囲気の落ち着いたブルーからグレーの微妙なグラデーションが入っていて、祐樹はとても気に入ったのだ。
果たして空港内は相変わらずのエアコンの効きっぷりで寒いくらいだった。
税関を抜けて荷物を受け取り、到着ロビーへと出た。
あちこちで迎えに来た人々と再会を喜ぶ人々が口々にしゃべっていて、その声がロビーのなかをわんわんと反響している。
久しぶりの広東語の喧噪に、懐かしさがこみあげた。広州に赴任していた祐樹には広東語は日常で聞いていた耳になじんだ言語だった。
広州ではほとんどの人々は北京語を話さず広東語を話す。テレビやラジオの番組もほとんどが広東語で、ある程度は覚えざるを得ない環境だった。
広東語は北京語よりも声調が多いせいなのか、抑揚が歌うように響くと祐樹はいつも思う。
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