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 その後、深圳に赴任してみたら、なぜかこちらでは広東語はほとんど通じず、北京語メインでふしぎに思ったものだった。  香港までは深圳からなら列車で1時間もかからない距離なのに。  深圳は中国各地からやってくる出稼ぎ労働者で成り立っている街だから、共通語である普通話(北京語)が普及してそうなったとあとから知ったが、広東省にありながらほとんど広東語が通じないというふしぎな街だった。  そんなことを思い出しながら、到着ロビーで再会を喜ぶ人たちをぼんやりながめて孝弘を待つ。  出国ロビーで客を見送ったあと、孝弘がこちらへ来てくれることになっていた。  ホテルで待ち合わせでもよかったが、ちょうど時間も合うから(合う時間を孝弘が手配したのだが)空港で落ち合うことにしたのだ。 「ちょっとでも早く会いたいだろ」  そんなことを言われてときめいたのは内緒にしている。  仕事柄、香港には何度か出張しているが、昨年の返還以来、今回が初の香港入りになる。  政治的な扱いは香港特別行政区として返還前とほとんど変わらないと聞いているが、生活レベルではどうだろう。すこしは変化があったんだろうか。  観光で2,3日訪ねるぶんにはそんなことは感じ取れないかもしれない。香港駐在の友人知人もまだけっこう残っていたが、今回は連絡をする気はない。  はじめての孝弘との旅行なのだ。  誰にも会いたくはなかった。  時差に合わせて腕時計をなおしたところで、孝弘がやってきた。  祐樹を見つけてぱっと口元がほころぶ。それを見て胸がきゅんとなったのに驚いた。  4日ぶりに会えたのがこんなにうれしいなんて。  ちょっとでも早く会いたい、はじぶんのほうだ。 「祐樹、お待たせ。だいぶ待った?」 「ううん、いま出て来たとこ。荷物がなかなか出てこなくて」 「そっか、ちょうどよかった」  孝弘が当然のようにスーツケースを取って引き始めたので、祐樹はあわてて、いいからと取り上げようとしたが、アテンドに慣れている孝弘にすいすいリードされてしまう。  そのままふたりで歩き始めたとき、後ろから英語で声をかけられた。 “ミスタータカハシ?”  振りむくと、この暑い雨季の香港で、一部の隙もなくスーツを着こなした男が立っていた。

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