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第9章 上流階級の男
『ここは初めて? 見かけない顔だが、きみは?』
明らかにオーダーメイドとわかる上品なスーツを身に着けた男の顔を見たとき、祐樹は思わず息を止めていた。
似てる、と思ったのだ。
不機嫌そうな表情も、気の強そうな瞳の輝きも。
そのまま引き寄せられるように視線が絡み、外せなくなった。
じっと見つめたまま返事を返さない祐樹に、相手は不審そうに眉をひそめた。
『もしかして、広東語がわからない? 香港人じゃないのか?』
『…いえ、ああ、はい日本人です。広東語はすこしなら』
祐樹の広東語の返事を聞いて、相手は表情をやわらげた。
『へえ、日本人。とても上手な発音だ』
『いえ、本当に日常会話がやっとで。深圳に住んでいるので普段は北京語なんです。といっても北京語もそれほど流暢ではありませんが』
深圳の駐在員と聞いて、目のまえの彼は納得したようにうなずいた。
『日本人か。名前は?』
【我叫高橋祐樹 】
祐樹はすこし迷って北京語の発音で答えた。広東語発音の名前も言えるが、習慣として名前だけは北京語で呼ばれることがほとんどだからだ。
彼は器用に片眉をあげて、gao qiao you shu (ガオチャオヨウシュー)と完璧な北京語の発音でリピートしたあと、英語で同じ質問を繰りかえした。
日本語の発音が知りたいらしいと気づいて祐樹が答えると、満足げにうなずいた。そのしぐさがとても様になっている。
”ユーキか。ではそう呼ぼう。私はエリックだ”
ほかの名前を名乗らないところを見ると、エリックでいいらしい。香港人がイングリッシュネームで呼び合うのはめずらしいことではない。
”よろしくお願いします、エリックさん”
”エリックでいい”
”いえ、でも…”
どう見ても30代半ばの年上の男性を呼び捨てにはできない。
たったいま知り合ったばかりの相手で、ましてここは面子を重視する中国人社会だ。
しかも香港はイギリス統治の影響を色濃く受けて、かなりの階級社会でもある。この場にいるということは間違いなく香港の上流階級に属する人間だろう。
香港にはイギリス統治の影響で、上流階級の一部の人間だけが所属する極めて閉鎖的なクラブが存在し、そこへは紹介状なしには立ち入ることができない。
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