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“知ってたら近づかなかったですよ”
香港人とは真逆の発想に、陳は珍獣を見るような目つきで祐樹を眺めた。
その陳の表情に、祐樹はうんざりした様子を隠さず付け加えた。
“ややこしいことは好きじゃないので”
“…なるほど。ですが社長はあなたにとっては、重要なコネクションになると思いますが? ビジネス上でもプライベートでも”
理解しがたいといった陳の表情に、祐樹は顔をしかめてみせた。
礼儀知らずと思われてもかまわない。彼が重要なコネになるというのは確かだが、祐樹にそんなつもりはない。
このところ祐樹はひどく疲れている自覚があった。
中国人社会の習慣にもずいぶん慣れてはきたが、彼らの激しい感情やよくわからない政治的配慮に振り回されることが増えていた。
香港返還を控えて、経済的政治的混乱が大きくなっているのが原因だとわかっていても、ストレスになるのは避けられない。
そんな現在の状況のなかでエリックが大きなコネになるのは理解しているが、それを利用してのし上がろうという気は起こらず、どちらかというと面倒を避けたい気持ちが大きかった。
相手から好意を寄せられているのは承知のうえで、連絡しなかったのだ。その正体を知った今となっては、ますます腰が引ける。絶対に関わりたくない。
“ご存知のとおり私は一介の会社員で、黄河集団の社長とどうこうなる気はありません”
あえてエリックとは呼ばず、黄河集団の社長と口にする。
“そうですか。…今回、私があなたを訪問したのは完全に私の独断です。社長はなにもご存じありません。というのも、あなたとお会いしたあと連絡をいただけないと少々落ち込んでいらしたので。…要するに私のお節介です”
“それで、私にどうしろと?”
“何も。私から何かをお願いできるとは思っていません。ただ何というか、社長はけっこうあなたに本気なんじゃないかと思って、あなたはどうだろうと思っただけなんです”
“本気ってなんですか。2回会っただけですよ”
“でも寝たんでしょう”
陳の言葉に祐樹はかっとした。
よけいなお世話だ。もしかしたら、連絡先を渡してコンタクトがなかったのは初めてなのかもしれない。それで秘書が気を回したのか。
エリックなんかと寝るんじゃなかった。
“だから?”
羞恥ではなく後悔から祐樹は冷淡な声を出した。
攻撃的になった祐樹に、陳はしまったという顔をした。
“すみません、失礼は承知しています。あなたを貶めたわけではありません。ただ今までになかったことなので、社長の肩入れをしたかっただけなんです”
“では、はっきり申し上げておきます。今後、社長とお会いするつもりはありませんし、プライベートでご連絡を差し上げることもありません。ご好意には感謝しています”
きっぱりと言い切った祐樹の言葉を陳は神妙な顔つきで聞き、大変失礼いたしましたと腰を上げた。
祐樹が上司に東京への異動希望を申し入れたのは、その翌週のことだった。
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