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湯気のたったワゴンが店内をぐるぐる回り、あちこちで呼び止める声や注文の声が飛び交う。ポットに入れる茶葉を選んだあとは、店中を回るワゴンから好きなものを取ればいい。あるいはオーダー票に記入して注文する。
ふたりで相談しながら小籠包、翡翠餃子、蟹皇乾焼売、叉焼酥などいくつか取ってシェアした。
「やっぱりおいしい」
鮮蝦腸粉を食べて満足そうな祐樹に、孝弘が笑ってもう一皿取ろうかと訊く。
それには首を横に振ったが、かわりに灌湯蝦球をオーダーした。なかから出てくる熱々のスープがおいしい。
「やっぱ食べ物はこっちのほうがうまいよな」
「大連は塩からいっていうけど? 北京とあまり変わらない感じかな」
「たぶんね。日本人に合うのは南のほうかなと思うけど、俺は北京料理もけっこう好きだよ。何年も住んで、慣れもあるだろうけど」
「北京で孝弘が連れて行ってくれた町中の食堂はおいしかったけど、社員食堂はあんまりだったな」
「確かに」
北京支社の地下にあった食堂を懐かしく思い出す。アルバイトに来た孝弘と何度か行って、いまいちだとぼやきながら慌ただしく食事したことがあった。
「食べても食べても減らない麺なんて、あれが初めてだったな」
最初の食堂体験を思い出して、祐樹は苦笑いした。
牛肉麺を頼んだら大きな中国人サイズで来てしまい、おまけに口に合わずに食べ残したのだが、祐樹が麺を食べるスピードよりも麺がスープを吸うスピードのほうが早くて、受け取った時とまったく変わらない状態で返却することになったのだ。
それを聞いた孝弘も「わかるわかる」と笑っている。
麺類全般がいわゆる日本のラーメンとは全然違う食べ物なのだ。
「大連だと名物料理はやっぱり海鮮かな。ホタテとか海老とか安くてうまいよ」
「そうなんだ。それは結構うれしい」
広州も海鮮が豊富で、味つけは多少違っても新鮮な魚介類が食べられるのは日本人にとっては幸運なことだった。広州には日本食レストランも多くあった。
大連にも日系のスーパーが進出しているから、食生活にはさほど困らないだろう。祐樹はそんなに食べ物にこだわるほうでもない。
どちらかというと、心配なのは冬の寒さのほうだ。どんな生活になるだろう?
5月に東京本社で顔を合わせたときには、こんなことになるなんてまったく想像もしていなかった。
この1カ月のことを思い返すと、夢を見ていたような現実離れした気分になる。いまこうやって香港で飲茶を食べているのも夢のようだ。
目が覚めたら広州のマンションで、あるいは東京の部屋で、ひとりで寝ているのかもしれない。そんな妄想もできてしまうくらい現実感がない。
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