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広東語や英語が飛び交うレストランの喧噪のなか、意識がふわりと浮かび上がる気がした。現実を離れて、漂うような。
なんだっけ、以前にもこんな感覚を覚えたことがある。
あれはそう……、孝弘の留学生寮を訪ねた時だ。
祐樹が過ごす駐在員社会と質素に暮らす留学生の孝弘の生活のあまりの差に驚いて……、胡蝶の夢かと思ったものだった。そんなことを思ったことをふいに思い出す。
「どうしたの、ぼうっとして」
これもまた胡蝶の夢の一つだろうか。
「…なんか、夢みたいだと思って。孝弘とつきあってるとか、一緒に旅行してるとか、全部、都合のいい夢を見てるのかもって」
「都合のいい夢を見てるのは俺のほうだよ」
孝弘はふっととてもやさしい表情になった。
そのまま一生夢見てて、と穏やかに笑う。
「…一生って。プロポーズみたい」
どきっとした祐樹が軽口でかわそうとする。
一生なんて、まだ24歳の孝弘には重すぎる言葉だろう。
「そうだよ。俺はそのつもりだよ」
ところがゆったり笑った孝弘は軽やかに肯定してみせて、祐樹を絶句させた。焼売をつかんでいた箸が止まる。
「そのつもりって……」
「一生つきあっていくつもりでいるから。まだ先の予定だったけど、ちゃんとプロポーズもするから」
思いがけない方向に話が転がって、祐樹は口を閉じた。
プ、プロポーズ?
冗談を言っている様子ではないし、うっかり返事をできることでもない。
困惑を隠せずに、気まずく茶を飲んだ。落ち着け、おれ。
「ほら、熱いうちに食べよ?」
祐樹の反応は予想のうちという顔で、孝弘はしらっと届いたばかりのせいろを勧めてくる。だから黙って湯気のたったスペアリブの煮物を取り分けた。
大体こんなところでする話でもない。
孝弘もその話題を蒸し返さなかったのでそのまま食事を続けたが、孝弘の口から出たプロポーズという単語は頭のすみに居座り続けた。
「ちょっと食べすぎたかも」
「俺も。腹ごなしにちょっと歩く? すぐ隣が九龍公園だけど、って外は暑すぎるか。ショッピングセンターでも行く? 見たいものあったらついでに見ようか」
「あ、会社にお土産買わないと。ちょっとしたお菓子とか香港ぽい雑貨とかでいいんだけど」
祐樹から希望した休暇ではないが、10連休をもらっている身としては少々気をつかうところだ。祐樹の部署でいまさら香港みやげなどめずらしくもないが、手ぶらというわけにもいかない。
店を出て海防路 を5分も歩けば海港城 なので、行ってみることにした。ホテルや商業ビルがいくつもつながった巨大ショッピングセンターだ。
一流ブランドショップから庶民的な雑貨やスーパー、レストランに映画館までなんでもそろっている。女の子なら一日中いても飽きないだろう。
でもブランドショッピングにさほど興味のない男ふたりでは、とりたてて楽しい場所でもないかもしれない。そう思っていたのだが、シティスーパーに行って、案外楽しく買い物をしてしまった。
買いはしないが食材やら調味料やら、身近なものは見ているだけでも意外とおもしろい。
会社用にいくつかクッキーやお茶などを買って、夜に部屋で飲むためのワインとつまみを見繕ってホテルに戻った。
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