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第15章 石澳海灘(セックオービーチ)
「祐樹、海に行こうか」
映画館を出て、孝弘が言った言葉に祐樹はきょとんと目をまるくした。
「海?」
「そう。海水浴、行こうよ。今から」
「え、海水浴? 今から?」
「うん。まだ12時だし、ここで水着買って、そのまま行けるから」
「ええ? なんで急に海水浴…。え、ほんとに行くの?」
面食らったまま孝弘を見上げるが、孝弘はちょっと気分転換しようとさわやかな笑顔を見せた。冗談を言っているわけではないらしい。
「うん。香港島に渡ってタクシーで30分くらいで行けるビーチがいくつもあるんだ。香港のビーチもけっこうきれいだよ。ちょうど午後が満潮だし。海は嫌いだった?」
映画を見ているあいだに孝弘がなにを考えたのかはわからないが、本気で行くつもりなのは伝わった。
一体どうしたんだろうと思うが、いやだということでもないので戸惑いながらもうなずいた。
「嫌いってこともないよ。わかった。じゃあ、行こう」
海港城のショップで水着とタオルと日焼け止めを買い、粥麺店 でかるく雲呑麺を食べてから香港島に移動する。
祐樹は地下鉄ではなく天星小輪 に乗りたいと提案した。
「じつは乗ったことないんだ」
そういうと、孝弘は意外なくらいうれしそうになる。
「なに?」
「初めて乗るんだろ。祐樹の初めてが俺って、何でもうれしい」
なんだかいろいろと含みのある笑顔だ。
「…なに言ってんの」
「素直な気持ち。一緒に初めてのことするってうれしいだろ」
あまりにもあっけらかんというので、なんだか力が抜けてしまう。
「祐樹は香港観光とかしたことある?」
「仕事で来るだけでないかも。あ、夜景見にビクトリアピークは連れて行ってもらったな。そう考えると食事や酒の席の接待はあるけど、とくに観光したことってないな」
「そっか。いっそ海水浴じゃなくて海洋公園 とか行ってみる? けっこう楽しいけど、アトラクションとか大丈夫だっけ?」
「せっかく水着買ったのに? まあ、おれはどっちでもいいけど。アトラクションが平気かよくわからないな。社会人になってからそういうところ、行ったことないから。わりと平気だったような気がするけど」
社会人になってからのほとんどの時間を中国で過ごしている祐樹は、テーマパークやレジャー施設からは遠い生活をしていた。
トークンを買ってフェリーに乗りこむ。祐樹が初めてだというので1等(2階席)にした。さほど景色が変わるわけではないが、気分の問題だ。
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