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「左側のほうが景色がいいよ」  ほんの10分足らずの短い船旅だが、ビル街の風景は香港らしくてそれなりに楽しい。 「写真で見てたけど、意外ときもちいいな」 「夜景だともっときれいだよ。帰りもフェリーにしようか」  フェリーが中環(セントラル)に着くとそのままタクシーに乗って、30分ほど走ると本当に海に着いた。目の前に突然現れた砂浜のビーチにふしぎな気分になる。  言われてみれば香港は島なのだから海に囲まれているはずなのに、祐樹には海のイメージがまったくなかった。香港で海水浴という発想ももちろんない。  太陽が波に反射してきらきら光り、水の透明度も想像したよりきれいで、日曜の午後だからたくさんの人が浜辺で波を楽しんでいる。 「ほんとに海水浴場だね、夏だって感じ」 「わりと水もきれいだろ?」  バーベキュースペースからは肉を焼くおいしそうな匂いが漂ってきて、子供のはしゃぐ声が晴れた空に高く響く。  海から吹く風が気持ちいい。  まぶしい日差しに目を細めて潮風を吸い込んだ。  さっきまでいた尖沙咀の繁華街とは別世界で、また孝弘に世界の境界を越えさせられた気分になる。祐樹が行き詰まると、いつの間にか世界を変える孝弘の魔法だ。 「とりあえず着替えようか」  けれども更衣室で祐樹は着替えの手を止めてしまった。ひざ丈の水着ははいたが、シャツのボタンを外そうとしてはっとする。  上半身は人前にさらせる状態ではなかったのを忘れていた。シャツを脱ぐのは無理だろう。  どうしたものかと着替えている孝弘にちらっと目をやる。 「シャツ、脱げないんだけど。このままでもいい?」  あー、と孝弘が呻くような声をあげた。 「ごめん、そうだよな。こういう予定じゃなかったからさ」  孝弘が照れた顔をつるりと撫でる。  キスマークだらけの肌をさらすわけにはいかなくて、着てきたシャツを羽織ったままビーチに出た。  レンタルパラソルやシャワーも完備されており、周辺にはレストランやショップが並んでいる。孝弘がパラソルをひとつ借りて水とビールを買ってきた。 「慣れてるね」 「留学中に来たことあるんだ」  サンダルを脱いで日陰の砂のうえに座ってみると、さらさらとした手触りが懐かしかった。海なんていつぶりだろうか。日差しがまぶしい。  孝弘に頼まれて肩と背中に日焼け止めを塗った。何度も触っているのに滑らかな肌にどきどきする。くすぐったいと孝弘が肩をすくめて笑う。  祐樹はシャツを着ているからじぶんでも塗れるのに、孝弘はさっさと日焼け止めを奪って、祐樹の腕や足にクリームを伸ばした。 「ちゃんと塗らないと後からひりひりするだろ」 「指の間まで塗らなくても大丈夫だと思うよ」  いたずらな顔でうそぶく孝弘から手を取り戻したけれど、頬が熱かった。

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