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“お別れはともかく、お礼? なんの?”
“あなたのおかげで「彼」でないとだめだと身にしみたので”
“なるほど。日本人は律儀だな”
“どうでしょうね”
“「彼」というのは一緒に香港に来ている彼? あのとき話していた片思いの相手か?“
“ええ、そうです”
“思いが通じた?”
うなずいた祐樹の涼し気な微笑みに、エリックはいたずらっぽい顔になる。
“その彼のどこが好き?”
その質問には祐樹はちょっと首をかしげた。
“どうしてそんなことを訊くんです?”
“いや、純粋に興味があって。私が彼に似ていたから、あの時つき合ってくれたんだろう? でも私ではだめだった。ユーキがその彼のどこに惹かれたのか、興味があるんだ”
祐樹は肩をすくめると、しらっと答えた。
“まず顔が好みだったんです”
エリックが意外そうな表情になる。
“へえ、顔が”
“ええ。声も好きですね。すこし低くて安心する感じがして”
”声ね、それから?”
よどみなく祐樹は話し続けた。
“不機嫌そうな表情とか目つきの悪そうな感じも好きで、たまに見せる子供みたいな笑顔もいいですね”
いたずらな表情で祐樹はさらに続けた。
“大きな手としぐさが男っぽい感じとか、気が強くて細かいことに騒がない度胸のよさも好きだし”
エリックの反応を見ながら、澄ました顔で恋人の美点を次々にあげていく。
“経済観念があってしっかりしてて、大らかで他人に優しくて、異文化を理解しようと心を閉じないところも尊敬してるし”
こういうときの祐樹のポーカーフェイスは完ぺきだった。
“じぶんの仕事にプライドを持っていて、なにより人一倍努力家なところが好きだ”
エリックは苦笑しながら黙って聞いていたが、だんだん楽しそうな顔になり、最後にはこらえきれないとくっくっと笑い出した。
“ようするに、べたぼれなんだな”
“ええ、そうなんです”
祐樹は文句のつけようがない天使のような笑みを添えて、きっぱり言い切った。
“男冥利に尽きるだろう? ミスターウエノ?”
エリックは降参だと頭を振り、それからからかうように、エレベーターホール横の大きな観葉植物のまえに立っていた孝弘に向かって笑いかけた。
すこしも嫌味なところのない、温かさを感じさせる笑顔だった。
祐樹がうしろを振り向くと、孝弘がすこし困ったように立っていた。
祐樹の好きな眉を寄せた不機嫌そうな表情で。笑いかけたエリックに鋭い目つきのままかるく会釈する。
祐樹は驚いた顔を見せなかった。最初からそこにいるのがわかっていたみたいにソファから立ち上がり、にっこり笑って孝弘のほうへ歩いてきた。
そっと孝弘の腕を取って、エリックを振り向いた。孝弘のとなりに並んで立つと左手を差し出し、別れの挨拶を述べる。
“今夜はご招待ありがとうございました。迎えが来たのでこれで失礼します”
エリックが差し出された手を握って微笑む。
“ああ、来てくれてありがとう。きみの幸せな笑顔が見られて安心した”
“あなたもお幸せに。どうぞお元気で”
手を解いたエリックが楽しそうな表情のまま鷹揚にうなずいた。
祐樹はそのまま孝弘の腕を引くとエレベーターに乗りこんだ。
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