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第18章 北京に向けて
「あ、高橋さん、お久しぶりですね。休暇はどうでした?」
10日ぶりに出勤したら、本社に孝弘が来ていた。
しらっと素知らぬふりで、祐樹にそんなことを問いかける。ちいさなサプライズに祐樹は頬がゆるみそうになるのを引き締めた。
ゆうべ会った時には本社に来るなんて、ひと言も言わなかったのに。
久しぶりに見るスーツ姿の孝弘はストイックな感じがとてもかっこいいと思う。
きちんと髪を整えてネクタイを締めた姿は、Tシャツにハーフパンツという普段着とはまったく雰囲気が違っていて、いまさらながらどきっとさせられた。
「おかげさまでとても楽しかったです。上野くんはきょうは?」
「あ、ごめん、高橋。言い忘れてたわ」
緒方が割って入ってきた。
「いまから大連チームのミーティングな。青木と笹原と江島も一緒に。もうすぐ青木と上野は北京入りするから、そのレクチャーも兼ねていろいろやるから。9時半に第3会議室集合な」
大雑把に説明して、さきに一服と言い残し、煙草を吸いに部屋を出ていく。
「てことなんで、きょうは一日、本社です」
孝弘がすました顔で、祐樹に微笑む。
事務の女子社員がコピーした書類を渡しに来て、孝弘に笑いかけた。
「上野さん、一日こちらですか? よかったら一緒にランチ、行きませんか?」
耳ざとく聞きつけた彼女が早速、声を掛けている。
祐樹はそれを聞いていないふりで書類に目を落とした。10日ぶりのスーツはネクタイがすこしきつい気がする。
「ありがとうございます。でもたぶんランチミーティングになるんじゃないかな。昼は弁当が用意されてるみたいなんで」
孝弘が穏やかな声で断りを入れている。よそいきの声。
「そうなんですか、残念。お昼まで大変ですね。じゃあまた、次の機会にお願いしますね」
感じのいい笑顔で会釈して、女子社員は残念そうに離れていく。
孝弘がちらっと視線をよこすので、ほらねというように眉をあげて見せた。
「ね、油断も隙もないでしょ」
取り澄ました顔を作って小声で言ってやる。じぶんのもて具合を自覚していない孝弘に。孝弘は口元だけで苦笑した。
「名前も知らない子に誘われてもな。興味ないし、もうすぐ赴任するし。それより祐樹のスーツ姿のほうにどきどきするよ」
同じようなことを孝弘も思っていたらしい。
「高橋、上野くん、会議室の用意できてるよ」
青木が声を掛けてきた。新しい案件に入る緊張感や期待感でとてもわくわくする。
いつか中国で会える日が来るだろうかと夢想したことは多々あるが、実際に孝弘と一緒に赴任する日が来るなんて想像したこともなかった。
会議室に向かいながら、祐樹は横を歩く孝弘の背中をポンと叩いた。
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