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 あの子が私の支配していた村に来たのは、生まれて間もない頃だった。栗毛の巻き毛が可愛らしい幼子は、土木技術者という触れ込みの父親と母親とともに私の村に移り住んだ。隣には日用品の商いをしていた趙が住んでいた。  母親は私の村に来てほどなくしてマラリアを患い、無事に生還したものの、熱帯の季候に耐えられず、母国へ帰った。リヒャルト.....彼の父親は、村の役場の仕事を手伝いながら、密かに私のシンジケートの動きを探っていたようだ。  彼は土地の測量という名目で私の村の状況を探り、人や物の出入りを記録-分析していたらしい。  そうして、彼が時々、彼の属している会社ーもちろんダミーだが、に資材を取りに出掛ける際に、趙に子どもを預けて出掛けていた。  その彼の留守中に、あの子は決まって熱を出して、私の診療所に運び込まれた。あの子は高い熱にうなされながら、私の、その時にはまだ血の通っていた指を小さな手でぎゅっ......と握りしめて、熱が下がって眼を開けた時には、決まって首を巡らせてにこっ......と笑うのだ。まさしくそれは、天使の微笑みだった。  だが、父親は、私のグループを探っていたスパイだった。私のグループは当時、革命を志し、反体制のレジスタンスと同調して、アジアの改革を志す人々を支援していた。  リヒャルトは、灌漑施設や道路の整備をしながら、私のグループの規模や構成員を探っていた。それがわかったのは、私のメイドが密かに私の取引相手の名前や場所を探りだし、彼に伝えていたことが発覚したからだ。彼女は、私の新しい拠点の地図も盗み出していた。  私の部下に厳しく責めたてられた彼女はリヒャルトに誑かされて、情報を漏らしたことを白状した。私は、その夜、リヒャルトを始末することに決めた。彼は私の秘密の取引きについて、タイ政府に漏らしていたのだ。そしてタイ政府が、私のグループを摘発、反体制組織の弾圧に動き出したという情報が入ったからだ。  夜、彼の手足になっていたメイドを始末し、リヒャルトがあの子とともに出掛けたのち、リヒャルトの家に投げ込んでおいた。  還ってきたリヒャルトは、その死体を見て、私達の来襲を予感したのだろう。   私達がリヒャルトの家に押し入った時、あの子の姿は無かった。どこに隠されていたかは想像が着いたが、リヒャルトを撃ち殺した後、私の心は一瞬、揺らいだ。私の指を握りしめる小さな手、微笑みかける眼差しが脳裏を過った。  あの時、タイの国軍が私の本拠、診療所から少し奥まった私の家と倉庫に襲撃をかけたのは、あの子にとって幸運な偶然だった。  いや、偶然ではあるまい。おそらくスパイの一味は、私が部下を連れて本拠を開ける隙を待っていた。リヒャルトは言わば『囮』だったのだ。  私が本拠に戻り、国軍と銃撃戦に及んでいる間にあの子は、趙に連れられ、メコン川を下った。  その事を聞いたのは、密林の中で、深手を負って隠れていた時だった。  私はゴールデントライアングルを仕切るボスに助けられ、その片腕となった。苓芳(レイファ)の仇をとり、傲慢な列強の野蛮人とそれにおもねる卑しい政治家達に復讐するために....。  数年の後、私はシンジケートを継ぎ、それから随分と長い月日が過ぎた。私の復讐はいまだに実現されず.....そして私は年老いた。  かの麗人は、苓芳(レイファ)が私をこの煉獄から救い出すために姿を変えて顕現したのだ。あの子が取り憑いているなら、私は喜んで彼の怨霊を抱きしめる。レヴァントには決してわかり得ない、アジアの深層の苦しみを、あの子が少しでもわかってくれるなら......。

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