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「客人?」    シンガポールの私のオフィスに邑妹(ユイメイ)が訪ねてきたのは、私には想定外のことだった。あのベトナム戦争の混乱の中で、私が監獄に囚われ拷問を受けていた時、大切な姉の苓芳(レイファ)をアメリカ兵に殺された時、彼女はまだ十歳にもならなかった。サイゴン陥落の折に孤児となっていた彼女は、進駐していたロシア軍の将校に引き取られたと人づてには聞いていた。シンジケートのボスの代理でロシアに赴いた時、ミハイルの父親、先代のレヴァントの傍らにその姿を見た時には驚いたが。  私はまず、彼女の無事を喜んだ。すっかりと大人になり、美しく成長した邑妹(ユイメイ)に私は神に感謝した。彼女は、私に取り縋るように言った。 『お願い、伯嶺。あの子達をそっとしておいて欲しいの』  だが、私は彼女の申し出を聞き入れることは出来なかった。 『邑妹(ユイメイ)、それはできない。苓芳(レイファ)は私の妻になるべき者だ』 『彼は姉さんじゃないわ。彼は彼よ。ミハイルの大事なパートナーなの』  私は彼女がレヴァントを庇うのは不快だった。だが、彼女は大事な義妹だ。私の思いはいずれ彼女にも解るはずだ。少なくとも、善女竜王たるかの麗人が寄り添う相手はレヴァントではない。誓いを立てる相手はキリスト教の神ではない。 『邑妹(ユイメイ)、彼は善女竜王の現し身なのだ。苓芳(レイファ)の転生した姿だ。彼が寄り添うべき相手はナーガラージャの化身たる私なのだ』  こんこんと説く私に彼女は溜め息混じりに言った。 『私には、あなたがアスラの王に見えるわ』 『そうかもしれんな......』  帝釈天に妹のマーヤーを奪われて、三千年もの間、恨み続けたアスラの王の苦しみはどれほどのものであっただろうか.....。 ーマーヤーは、帝釈天を愛していたのかもしれないのに、戦いを挑み続けたーと邑妹(ユイメイ)は言ったが、それは誰にもわからない。アスラの王がマーヤーを奪還出来ていたとしたら、マーヤーはアスラの王を恨みはしなかっただろう。帝釈天の傲慢に気付き、一度でも添おうとしたことを恥じるはずだ。私にはそう思えてならなかった。 『彼が、過去を思い出し、本来の自分のあるべき姿を取り戻せば、君の誤解も晴れるはずだ、邑妹(ユイメイ)。それまでは私の傍で、苓芳(レイファ)の帰りを待っておいで』  レヴァントの愚かな企みを阻止することは出来なかったが、なに、異教の神への誓いなどなんの意味も無い。だが、私を不快にさせた償いはさせねばならない。私は邑妹(ユイメイ)に気取られぬよう、慎重にレヴァント本社への攻撃とレヴァント自身の狙撃を部下に命じた。

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