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虫の声が一際に大きく響く夜だった。
様子を窺いに、ふと部屋を覗くと、彼...苓芳(レイファ)の魂を宿した青年は、ベッドの端に腰を下ろし、じっと頭上を照らす月を見つめていた。その背中は、天を恋うる天女そのもので、この上なく美しく、そして寂し気だった。
ふ.....と彼の面がこちらに向いた。
「眠れないのかね.....」
静かに声をかけ、柔らかな面差しを見つめる。月の影に隠されて、表情は見えない。
「崔....」
私は身構える彼の傍らに歩みより、小さく叱った。
「その言い方は止めなさい。私は君の夫になる。ちゃんと亲爱的(あなた)と呼びなさい」
「無理だ」
彼ははっきりと顔を背け、拒否した。だが、肉体の彼がいくら拒否しようと魂の真実から眼を背けることはできないのだ。
「レディ、あなたはもう悪夢から覚めねばいけない。あのような野獣のことなど忘れなさい」
怒気を含んだ彼の声が問う。
「そういう問題じゃない。あんたはいったい何人殺した? 何人の人生を踏みにじった?!」
その声は怒りながら、どこか悲し気で、苓芳(レイファ)の魂が、変わってしまった私を責めているようにも聞こえた。私は青年の内なる苓芳(レイファ)の魂に語りかけた。
「苓芳(レイファ)忘れたのか?!私達の同胞は、家族は何の罪もなく殺された。ナパームで焼かれ、銃弾で蜂の巣にされ.....君をあの野蛮人どもに傷つけられ喪った時、私がどれ程苦しんだか......」
沈黙する彼に、苓芳(レイファ)の魂に向かって、私は続けた。
「私は息絶えた君を、傷だらけの君の遺体を見た時、あいつらを地獄の底に叩き落とすと決めたんだ。あの西洋の野蛮人どもを、君を救おうともしなかった奴らを.....」
「崔....。だからといって......」
私はこみ上げる感情を、言葉を押さえることができなかった。
「苓芳(レイファ)は苦しみの中で死んだ。残された私は同胞に裏切られ、国を追われ犯罪者とされた。政府に......。なのに同胞を私達を苦しめたあの男はポル-ポトは隣国で自分の同胞を国民を好き放題に殺しながら、『英雄』と祀り上げられていた......だから、私も『英雄』になり、私の王国を築いたのだ......この世を地獄と化して全ての人間が私達の同胞と同じ苦しみの中でのたうち回らせるために....」
我れを取り戻した時、私は二つの瞳が哀し気に私を見つめていることに気付いた。うっすらと涙を浮かべて、苓芳(レイファ)の瞳が私を見つめていた。
「苓芳(レイファ)....」
私は青年の、苓芳(レイファ)の頬を、昔していたように、両の手に挟み込んだ。
「もう私を一人にしないでくれ.....」
既に虫の声は絶えていた。椰子の葉を揺する風だけが遠く聞こえる。
「俺は苓芳(レイファ)じゃない.....」
私には彼のその言葉は聞こえなかった。
ふと、悪魔の囁きが耳を掠めた。
ーそいつは紛かしだ。苓芳(レイファ)はもういない。お前は独りで地獄をのたうち回るのだ。たった独りで.....ー
私は悪魔を振り払い、立ち上がって、部屋を出た。月下の棕櫚の木の影に二つの悪魔の顔が覗いていた。不気味な笑いを浮かべ、私を嘲笑う四つの眼差し......私はガルドゥスを呼びつけ、悪魔を退けるよう命じた。
「しかし、頭主さま.....」
ガルドゥスは一瞬躊躇いを見せたが、それ以上逆らうことはしなかった。悪魔の死体はすぐさま塀の外に捨てさせた。
後に、その亡骸は、近くの村から働きに来ていた少年のものと分かったが、悪魔に取り憑かれていたのだ。私はそれを祓わせたに過ぎない。
まったく私の周囲は悪魔ばかりだ...。
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