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 私は日暮れ時、彼を訪れる。苓芳(レイファ)も、あの少年も、いつも夕暮れ時になると寂しそうな顔をしていた。彼の横顔には、そのふたりの面影が重なって、私はつい抱きしめたくなる。  私が手を伸ばすと、彼は硬く身体を強張らせ、恐れと嫌悪と、そして寂しさの入り雑じった目で私を見上げる。 「何か言いたいことがあるのかね?」  私は優しく彼に、彼の内なる、あの少年に語りかける。 「ミーシャのところに返してくれ......と言ってもあんたは聞きはしないだろう」  彼は恨めしげに、悲し気に言う。私は闇色の絹のような髪を撫でつけて、囁く。 「もう、彼の事は忘れるがいい.....いや、忘れなければならない」 「無理だ」  私の言葉に彼は一層哀し気な顔をする。 「あんたは......、あんたには心に思う大切な人間はいないのか。あの苓芳(レイファ)という人以外にいなかったのか......?」  私は、首を巡らせ、彼の瞳をじっと見つめる。黒曜石の、夜の光を宿した瞳に私の影が映る。 「いた....かもしれない。だが、それも遠い昔に失われてしまった」  いや、あの子は私が私の手で失ったのだ。あの子の最愛の父親を殺し、彼の愛を自らの手で永遠に失なった。だが、それは致し方の無いことだ。あの父親、リヒャルトは私の理想を踏みにじったのだから......。 「なんで、あんたは麻薬シンジケートのボスになんかなったんだ?」  彼が、彼の中の少年が私に問うた。私はその問いに丁寧に答えてやることにした。それは真に彼が知るべきことだからだ。 「私は、ベトナム戦争でアメリカ軍によって最愛の恋人、苓芳(レイファ)を失い、逃れた先のカンボジアで、地雷によって右足を喪った。だが幸い、他国から派遣された医師団によって救われ、私は元の稼業である医師に戻り、タイの奥地、ゴールデン-トライアングルに近い村で診療所を開いた。だが、周辺の国々では独立紛争が相次いでいてね......。私は彼らを支援するために、レジスタンスを匿い、武器の供与をしていた。列強の、植民地支配を再び志向する輩は、それをテロリストとして、私のグループに襲撃をかけた」 「テロとどう違うんだ?」  私は、おそらくは彼の知り得ない事実を丁寧にゆっくり話した。 「テロというのは、なんの関わりもない、無関係な一般の人々を巻き添えにして殺傷する行為だ。列強は自分達の意にそぐわないことをテロと決めつけるが、それは違う。.....結果として独立を勝ち得れば、それは正義となる。......ただ、列強の支配を排除したからといって、そこで正しい政治が行われるとは限らないがね」 「ポル-ポトみたいにか.....」 「そうだ」  私は深く頷いた。 「話が逸れたな。.......私は私をテロリスト扱いした連中を憎んだ。アジアの自立を妨げる列強の犬を憎み、排除した。.....結局のところ、列強に追従していたタイの国軍に襲撃され、密林に逃げ込んだ私の命を救ったのが、シンジケートの前の頭主だった。彼も大国のエゴをエリートの専横を憎んでいた。私は彼の片腕となり、シンジケートを継いだ」 「だからって......罪もない人々を拉致して麻薬漬けにしたり、腹を裂いたりしていいわけがない」  彼は怒りと憎しみを込めて、叫ぶように言った。私は静かに答えた。 「その通りだ。だが、それでも飽き足りないくらい、列強の、私達の先祖や同胞を踏みにじってきた西洋の専横が憎いのだ」 「あんたは、哀しい男だ......」  彼の唇が呟いた。漆黒の瞳が揺れていた。 「神の裁きが恐ろしくないのか?」 「西洋の神の裁きなど、知らぬ」  私は鼻先で一蹴し、彼の青ざめた顔をじっと見つめた。 「私を裁いてよいのは、全き正しき者だけだ。誰も殺したことがなく誰からも搾取したことの無い先祖から生まれた者だけだ。そんな者が、この地上にいると思うかね?」 「それは.....」  彼は辛そうに口ごもった。 「だが、殺すことは許そう」  私は彼に告げた。  慈悲をもって、私の地獄を終わらせてくれる者を、私は拒まない。それが彼であることを私は密かに望んでいる。  父親を失い、趙に救い出された後も、少年の魂は父の敵を探して枯れ野をさ迷っていたのであろう。そして、彼は苓芳(レイファ)に似たこの青年の肉体を見つけた。見つけて、取り憑いて私の元にやってきた。  私の思いを知り、私を地獄から救い上げるために....。 ー実に観音菩薩は慈悲深いー 「愛してるよ、レディ......」  私は風の中に佇む小さな背中を、懐かしい残景を夕闇の中に眺めていた。

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