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 その日は、暑季の只中らしい青い空だった。どこまでも突き抜ける濃い青の最中に一点、銀色のものが小さく光った。それはとても小さかったが、私にはすぐ分かった。 「来たか......?」 ー遅かったではないか......ー  私は司令塔に通信を入れ、レーダーをチェックするように言った。が、そこには何も映っていないとの報告が入った。 「見間違いか?」  思案する私の耳に躊躇がちなノックの音が聞こえ、私はしぶしぶとガルドゥスに扉を開けさせた。  そこに立っていたのは、身を縮こまらせた邑妹(ユイメイ)だった。彼女が私の私室を訪れるのは滅多に無いことだ。私は出来るかぎり、優しく彼女に声を掛けた。 「どうしたのだね、邑妹(ユイメイ)?」  彼女はおずおずと、伏し目がちに私の様子を窺いながら、言った。 「小狼(シャオラァ)が、彼が髪を切りたいって....しばらく誰にも切ってもらえなかったからって....」 「駄目だ」  私は即答した。 「結婚式には綺麗に結い上げて、善女竜王に化身した姿を皆に示し、祝福を与えねばいけないのだからね」 「分かった....わ」  彼女は項垂れて踵を返していった。彼女は昔から従順で良い娘だった。『伯嶺兄さん』の言いつけには、絶対叛いたりはしない。あの青年が邑妹(ユイメイ)の養子になっているのも、前世からの縁だろう。やはり苓芳(レイファ)は、可愛い妹と私と共にいたいのだ。  私は侍女に髪を結う道具を用意しておくよう、ガルドゥスに命じさせた。彼はおそらく長すぎる髪をもて余しているのだろう。  私はモニターに青年の部屋のカメラの画像を映すように、セットした。  邑妹(ユイメイ)が、彼の髪を丁寧に梳き、器用に結い上げていくのをじっと眺めていた。.......と、そこに司令塔からの通信が飛び込んできた。 『戦闘機が、上空に現れました』 「戦闘機?......何も見えないと言っていたではないか.....?!」  私はモニターを切り替えた。鈍色の機体が三機、四機とこちらの視界に飛び込んでくる。 ーステルスか......ー  国籍はわからない。が、おそらくレヴァントの差し金であることは見当がつく。 『倉庫群に爆撃を始めています。こちらにも向かってきます.....』  私は舌打ちをして椅子から立ち上がった。 「頭主さま......!?」 「私は彼の様子を見てくる。お前は応戦の指揮を取れ」  私は慇懃に頭を下げるガルドゥスの前を素通りして、廊下を急いだ。 ーしかし誰が....ー  この場所は、電波シールドを張ってある。もし誰かが、たとえば彼がGPS を持っていたとしても、外部からその電波を拾うことは出来ない。この場所を特定するには、シールドをはずさなければならない。それが出来る人間は限られている。脳裏にガルドゥスの生真面目な面が浮かんだ。 ーそうか.....。ー  ガルーダは母親達の賭けによってナーガの奴隷となったが、解放を求めて、ナーガに命じられてヴィシュヌからアムリタ(不死の甘露)を盗んだ。だが、一方でインドラと結託して、再びアムリタ(不死の甘露)をナーガの手から奪い去った。 ーインドラか.....ー  私は次々と倉庫を爆撃する鈍色の機体を見上げた。 ーだが、アムリタ(不死の甘露)は渡さぬ。今度は.....ー  私は青年の、苓芳(レイファ)の待つ部屋の扉を開けた。結い上げられ、小さくまとめられた髪と薄衣の狭間に覗く白く美しい項.....鏡の向こうの彼の耳にはブラックダイヤのピアスが輝いていた。  私は息を呑み、ゆっくりと彼に、現身の菩薩に歩み寄った。銀の髪飾りをそよ風に揺らめかせ、ゆったりと椅子に身体をもたせた姿は、観音菩薩そのものだった。 「綺麗だ。レディ....まさに観世音菩薩だ」     私は菩薩を讚美しつつ、それを奪わんとする輩が牙を剥いて近づいてきていることが、この上なく腹立たしたかった。 「アクシデントだ。ここを離れねばならない。.......後から迎えに来る。大人しくしておいで、レディ」  私はその頬に軽く唇を触れ、黒曜石の瞳をじっと見つめた。 ー南無観世音、我れを救いたまえ.....ー  私は長袍の裾を翻し、最後の戦いに赴いた。今度こそ私が勝利者となるのだ。 ーだが、その前に.....ー  ホァンを逃がさねばならない。私が託したものとともに、彼にはこの地獄から遠く離れさせねばならない。  私は至急にホァンを外に連れ出すように命じた。 ー後は....ー  彼の髪飾りに隠したGPS を追えばいい。

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