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13.ひと月後(3)
* *
「リュシーさん」
30分以上の時間が過ぎても、ジークの様子は変わらなかった。
今回の薬には副作用がないのか――あるいはジークにそれだけ合っているのか。
リュシーはサンルームのようになった一角に並べられた鉢植えの世話をしながら、続くリビングの窓を拭いていたジークを確認するようにちらりと見遣る。すると待っていたみたいに名前を呼ばれ、内心少し驚いた。
「今日って、ずっと霧なんですか?」
「……え?」
「外……」
ジークはガラスを拭く手をそのままに、窓外の景色を見つめていた。
今日は一日霧だ。アンリは確かにそう言った。
言われた通り、今朝は霧が出ている。だが、それが〝一日続く〟と、はっきり言い切ったのが気になっていた。
アンリとリュシーの会話の内容はほとんど理解不能なジークだったが、田舎育ちなだけに天気には少々敏感なところがある。そのせいか、そこだけはしっかりと頭に残っていたのだ。
「普通霧は朝出ることが多くて、昼までにはだいたい晴れますよね? もちろん、一日中霧の日もありますけど、でもそれが今日とは……」
「ああ……それは」
言いながら、リュシーも窓の外へと目を向ける。それから、吐息混じりに言った。
「分かるらしいですよ」
「分かるって……えっと、天気が? ですか?」
ジークは手を止め振り返った。
「はい」
リュシーが頷けば、大きく目を瞠り、たちまちその瞳をきらきらと輝かせた。
「ええ! すごい! 先生、天気予報得意なんですね!」
――魔法使いアンリ。特技〝天気予報〟――。
不意に頭を過ぎったそんな文言に、リュシーは思わず笑ってしまいそうになった。
そんなリュシーをよそに、ジークは何度も「すごいなぁ」と繰り返しながら、再び窓ガラスを拭き始める。
(……幸せなやつだな)
その素直すぎる反応に、リュシーは呆れるを通り越して感心してしまいそうになった。
まもなく自分も手元へと視線を戻し、植物の根元に魔法薬を振りかける作業を再開したものの、
(…………もし、ご主人が……)
その一方で、ぼんやり考えてしまう。
もしご主人が、本当に|天気予報《そういうの》をメインで扱うような健全な魔法使いだったなら……あんたもきっと、もう少しましな治療が受けられていたんだろうな。
少なくとも、毎日黙って薬の治験なんてされることなく、もっと優しく、誠実な対処をして貰えていたはずだ。
(……まぁ、今更どうしようもねぇけど)
考えても仕方ないことは、考えない方がいい。
リュシーは密やかにため息をつくと、次にはさっさと意識を切り替え、仕事に集中することにした。
* * *
アンリの予報通り、昼食を食べた後も霧は晴れていなかった。
気温は少し低めだが、寒いというほどではない。
ジークは愛用の黒いマントを羽織り、フードは背中に落としたまま、リュシーの後に続いて更に深い森の奥へと入っていった。
「はぐれないでくださいね」
リュシーは蓋付きのバスケットを片手に、背後を気にしながらゆっくり歩く。
朝よりもむしろ濃くなったようにも感じる霧の中では、1メートル離れるだけでその姿は随分霞んでしまう。2メートルも離れれば、もうそこにいることすらわからなくなるくらいだ。
「はい。気をつけます」
ジークが頷くと、チリンと澄んだ音がした。
ジークの首には、ガラスのような材質で作られた鈴が付けられていた。細い革紐に通されたそれは、リュシーが用意したものだった。
今日のように霧の濃いこの森の中は声も音も大きいほど乱反射する。だから音は控えめだ。それでもリュシーなら捕らえられる範囲は広い。
ジークが迷子にならないようにと――と同時に、何よりそうなった場合、|リュシー《自分》が後でどんな目に遭うかわからないため、それを回避したいがための予防線でもあった。
「探すのは花です」
「花?」
「はい。霧の中でしか咲かない花があるんです。光沢を帯びた白い花びらの……集めるのは、その花の蜜です」
「花の蜜……」
リュシーは足元を見ながら歩いていた。
それに倣って、ジークも近場の地面を一望する。
「花が小さい上に霧の中なので、なかなか見つけにくいとは思いますけど――」
「これですか?」
するとリュシーの言葉も半ばに、ジークは足を止め、近くに佇む木の根元へとしゃがみ込んだ。
数歩遅れて立ち止まったリュシーは、溜息混じりにジークの視線の先を見る。
「いや、そんな簡単に――」
「そ、そうですよね」
すみません、と頭を掻きながら振り返ったジークの傍で、リュシーは思わず目を瞠った。
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