152 / 157

20.束の間の(6)

「――俺、あの人に……」  あの日ジークは、ようやく名乗り合ったばかりのラファエルに自分からキスをしてしまった。  冷静にいなされ、すぐに我に返ったためそれ以上何があったわけではないけれど、ジーク自らしかけたことには変わりない。 (う……あんな天使みたいな人に何てことを……)  草を掴んだ手が止まり、一気に顔が熱くなる。    ラファエルは何事もなかったかのように振る舞ってくれていたけれど、ここは改めて謝った方がいいのだろうか……。  頭の中がぐるぐるとして、目眩がするように額を押さえる。  その拍子に頬にも少し土がついたけれど、本人は気付かない。 (これからもあんなふうになるのかな)  ちゃんと自分で制御できなければ、誰彼構わずまた手を出してしまったりするのだろうか。 (そんな状態で、騎士団には戻れない……)  戻れないというか、まず騎士団側からの許しが出ない気もする。  やはり一度アンリと話をしなければならない。  しっかり対応策などを教示してもらい、アンリの傍にいなくても、自分だけで何とかやっていけるようにならなければ。  現にアンリは同じ淫魔だというのに、特に薬などは飲んでいないようだ。ということは、|ジーク《自分》だってそうなれる可能性はあるに違いない。 (……今日がだめでも、また近いうちに)  少しゆっくり時間をもらって……。  ジークは一つ頷くと、顔に触れていた手を地面に戻し、目の前の雑草を手早く引き抜いた。  ◇ ◇ ◇  時間は少しさかのぼり――。 「彼って、本当に淫魔なんですか? あなたと同じ?」  ジークが出て行った方向をちらりと見遣り、空いた椅子を引きながら、ラファエルがアンリに目を戻す。  先に座っていたギルベルトは、会話に参加する気は更々ないようで、誰の許可もなくテーブルに置かれていた菓子のかごを自分の方へと引き寄せていた。  アンリの好む焼き菓子は、ギルベルトの好物でもある。ギルベルトは目をキラキラさせながら、その一つを勝手に手に取ると、敷紙を剥がすのももどかしくそれにかぶりついた。「うまっ」と口の中でこぼしつつ、へにゃっと一瞬幸せそうな表情をする。 (……何て顔してんですか)  一転してまるで無防備なそれを横目に、ラファエルは心の中で呟くも、 「確かアンリにも淫魔の血が入ってるって話でしたよね……?」  ひとまず大人しく椅子に座り、話を続けた。 「まぁ、同じと言えば同じだが、違うと言えば――」 「全然|違《ちげ》ぇだろ」    その横で、リュシーが新たに用意したハーブティーをそれぞれのカップに注いでいく。注ぎ終え、テーブルにポットを置くと壁際に下がり、するとアンリの言葉を遮るようにギルベルトが言った。 「だって俺、アンリのこと抱きたいと思ったことねぇもん。美味そうだと思ったことも――」 「あなたは黙っててください」 「相変わらず阿呆な悪魔だな」  ラファエルと共に呆れたアンリが、ハーブティーのカップを傾けながら溜息を重ねる。 「何でだよ! そこ重要だろうが!」 「そこってどこです」 「だから、お前が知りてぇのは結局、この俺さまがどういう相手にその気になるかってことだろ?」 「それは自惚れすぎですよ」  しゃあしゃあと言い切るギルベルトに、ラファエルはさらりと返したものの、その胸中は複雑だった。あながち間違ってもいなかったからだ。  ラファエルがアンリ邸を訪れたのは、|アンリ《当事者》に確認するためだった。  端的に言えば、淫魔と悪魔の関係を。裏を返せば、ギルベルトが嘘をついていないかということを。 「痴話げんかなら他所でやれ」  そんな二人に冷ややかな視線を送り、アンリは持っていたカップをソーサーに戻した。  次の菓子へと伸ばしかけていたギルベルトの手が一瞬止まる。 「は?! どこが痴話げんかなんだよ?! ふざけんな!」  けれども次にはそう言いながら、すぐに掴み取った菓子を口へと放り込む。  口いっぱいにそれを頬張ったまま、バンと力任せに机を叩く。陶器がぶつかる音を立て、カップから雫が小さく跳ねた。 「……あっ。あ――もしかして。もしかしてアンリも、俺のこと気になってんの?」  かと思うと、突然何かひらめいたみたいに高い声を上げる。 「まぁ仕方ねぇよな。俺さま格好いいし……」 「…………」 「あ、どうしてもっていうなら、抱いてやらないこともないぜ? 特に好みじゃねぇけど、お前見た目は悪くねぇし。俺には劣るけど」  と、とたんに機嫌を良くしたギルベルトを、アンリが微塵も感情の見えない眼差しで一瞥する。それに気付かず、したり顔で菓子を食べ続けるギルベルトを、ラファエルが「ギル。もうその辺で」と苦笑気味にたしなめた。

ともだちにシェアしよう!