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20.束の間の(12)
「ジークのことなんだけどさ」
(……俺のこと?)
廊下へと続くドアに、隙間ができていた。
カヤがアトリエから戻る際、閉め損ねてしまったらしい。
廊下を拭き始めたところだったジークは、不意に聞こえてきた自分の名前に手を止め、瞬いた。
「思ったより筋はいいみたいなんだけどな。ただ、箒に名前がなかなか出ないみたいで。……アンリ、何か聞いてる?」
「……特には」
「そっか」
言いながら、カヤはまだ中身の残っていたアンリのカップに、勝手にハーブティーの追加を注ぐ。その横に、持参したバスケットから焼き菓子を一つ添えて、
「……じゃあさ、あの話、してやっていい?」
「何が〝じゃあ〟だ。別に言う必要はないだろう」
「いや、だってあれ絶対励みになるし」
カヤは当たり前みたいにそう続けると、宥めるかのようにアンリの皿に菓子を増やす。
重ねられた|フィナンシェ《焼き菓子》が、ぎりぎりのバランスでゆらゆらと揺れる。
あの話?
あの話ってなんだろう。
さすがに扉のすぐ前まで行くわけにはいかず、声量によってははっきり聞こえない。
ジークは壁に身体を沿わせるようにして、思わず耳をそばだてた。
「だってまさかこのアンリがだよ? このアンリが、箒に名前が出るまで一年もかかったなんて……俺だって信じられなかったし!」
「あれは箒の不具合だと思っている」
「いや、それ普通に職人さんに怒られるやつだから」
(え……?!)
ジークはとっさに口を押さえる。漏れかけた声をどうにか抑えながら、大きく見開いた目を僅かに泳がせる。
カヤが力説したばかりに、はっきり耳に届いてしまった。
どこかで|ジーク《自分》を慰めるための嘘ではないかと思っていた、名前が出るまでに一年かかったという魔法使いの話。あれはどうやら本当のことだったらしい。しかも、それがアンリだったなんて――。
「飛行魔法をすっ飛ばして転移魔法とか、魔法薬の調合ができるようになるとか……ちょっと意味わかんなかったからな」
「別にいいだろう。だいたい、飛行魔法のことだけはお前にとやかく言われたくはない」
「……言われると思ったけど。……って言っても、俺は初めて箒握った瞬間に名前出たって話だからな? それはもう生まれてすぐとかに」
「名前が出ても、契約が出来ても、乗れなかったら意味ないだろう。現にお前、今まで何度箒に置いて帰られている。もう数も言えまい」
「うっ……」
ずばずばと返す刀で斬られて、カヤはハーブティーを飲むに逃げる。
そして廊下ではジークが、先の話もずっと継続して聞いていて――。
(アンリさんが、一年……)
けれども、その言葉は励みになるどころか、
(あのアンリさんが一年……。ってことは、俺は? 俺だといったいいつまでかかるんだ……?)
逆にいっそう追い打ちをかけられるように感じられて、ジークはそのままぺたりと床に座り込んでしまった。
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