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存在意義13
いつもの真志喜なら、何を泣かせているのだと怒っていただろう。
しかしその時は何故だか、女性に対して僅かも同情の念を抱くことはなかった。
それどころか、少し警戒心すら抱いた。
己の本能が警告する。
あの女は危険だと。
その時、ふと迅の顔が目に留まった。
あんな迅は、後にも先にも見たことがない。
怒り、憎しみ、悲しみ、嫌悪、恐怖。
ありとあらゆる負の感情が混ざり合ったような顔をしていた。
後にその女性が迅の母親であると知った。
迅を産んでしばらくしてから薬に手を出したらしい。
それからは碌に迅の世話もせず遊び呆け、落ちぶれていく彼女を、じぃじは見過ごしておくわけにはいかなかったそうだ。
いつの時だったか、じぃじは俺に話したことがある。
「昔は清らかに笑うやつだったんだ。その顔を見るたびに心が安らいだものだ。だが、あいつは常に何かに怯えていたのかもしれん。心の弱さが、あいつを変えてしまった」と。
そう語るじぃじの寂しそうな横顔が、鮮明に記憶に残っている。
「家族って前に、親も子も1人の人間だ。親だからって、たくさんいる人間のうちの1人に過ぎないんだよ。だからさ…」
隣を見れば、ハズキくんが俺を見つめていた。
こちらも真っ直ぐに見つめ返し、微笑みを浮かべる。
「あんまり家族に囚われる必要もないじゃないかな」
ハズキくんの瞳が揺らいだ。
そして赤くなった目元を隠すように俯いてしまう。
「……僕さ、自分の本当の名前、好きじゃないんだ」
「え?」
ハズキくんの声は、ひどく弱々しかった。
今にも消え入りそうな声で、言葉を続ける。
「僕の本名はね、空っていうの。空っぽの空…。この名前が、嫌で嫌でしょうがなかった」
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