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苦杯
「…なぁ」
「……」
「なぁってば迅!」
「…ん?」
荒木と名乗った謎の男が去り、少ししてから戻って来た迅は事態を把握してから全く口を開かない。
迅の乗ってきた車に乗せられ、やはり今夜は本邸に泊まろうと提案する迅に、俺は反論することができなかった。
負けたは負けたけど、特に外傷はない。
寧ろ思いっ切り頭をぶっ叩いてやった相手の方が傷付いている。
しかし車内は重たい空気が漂っていて、ダンマリを決め込む迅に俺は我慢できずに口を開いていた。
「別に俺は平気だって。つーかお前に榎本連れてけって言ったのは俺だし」
「…うん」
「…で?榎本は大事ないのかよ」
「うん、気を失ってただけみたい。骨も折れてないよ。ただ、顔はパンパンに腫れるだろうけどね」
「うへぇ〜、お気の毒に…」
今回ばかりは俺のせいなわけだし、榎本を揶揄うのはよしておこう。
そう考えてから、俺は眉を寄せる。
あいつの言っていた“あの方”ってヤツが、何故こんなやり方で俺と会おうとしているのか分からない。
それに今度は正式に出迎えに行くということは、つまり…。
「やっぱり離れるべきじゃなかった」
「…え?」
考えにふけっていた真志喜は我に返り、運転をする迅へ顔を向ける。
声を発した本人は前を見たまま、深刻そうな表情をして言葉を続けた。
「無事だったから良かったけど、下手したら取り返しのつかない事になっていたかもしれないんだ。なのに俺は真志喜を置いて行ってしまった…。もっと他の対処法があったかもしれないのに」
「はぁ?他のってなんだよ。2人で戦うとか?戦わずに逃げるとか?それこそリスクがある」
「だからって、真志喜が危険な目にあったんじゃ元も子もない」
「榎本は本当に当たり所がマズかったかもしれないんだ。まず第一に優先すべきは負傷した榎本だろ」
「でも、なんなら騒ぎ覚悟で人を呼べば良かったかもしれないでしょ」
「良くない!つーかそんなに俺が頼りな…っ」
言いかけて止めた。
実際このザマなんだから、何も言えやしない。
なんだか口喧嘩みたいになってしまった。
大体は俺が噛みついても迅のやつがヘラヘラして流すから、意外と喧嘩をすることはない。
更に空気が悪くなって、俺は舌打ちをこぼし窓に額をゴンッとぶつけた。
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