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偽り4
「……ぇ」
思考が停止した。
彼がなんと言ったかよく理解できなくて、僕は呆然とその瞳を見つめ返す。
頬に添えられた手が、ゆっくりと肌に沿わせられる。
そして慎太郎くんは、僕の髪をそっと耳にかけた。
その手つきがやけに色っぽくて、僕は顔を紅潮させる。
心臓の音がうるさい。
指先が、ピリピリと痺れるようだ。
「俺と付き合えば、今までみたいな心配はないよ」
静かに紡がれる言葉は、まるで甘露のように甘く、同時にひどく冷たい。
誰だ。これは。
こんな慎太郎くんを、僕は知らない。
『あいつは俺なんかより、よっぽど悪人だから』
何故だか生駒くんの言葉が頭を過った。
困惑して、キュッと唇を噛む。
「俺なら虎介を守ってやれる。誰にもこの体を、触らせたりしない」
耐え切れず目を逸らした。
俯き、お弁当箱をギュッと握る。
彼がなんでこんなことを言うのか、全く分からない。
彼にそこまでして貰う理由など、どこにもないのだ。
ましてや、恋人だなんて…。
「こ、恋人って、こんな形でなっていいものじゃないと思う。ちゃんと慎太郎くんが好きだと思う相手と付き合うべきだよ」
下を見たまま、弱々しい声でなんとか伝えた。
それに慎太郎くんは何も言わない。
今、どんな顔をしているのだろう。
気になるけど、怖くて顔が上げられない。
震える手でお弁当箱を掴んでいると、不意にその手が慎太郎くんの手に包まれた。
ハッとして顔を上げると、至近距離に彼がいる。
呆然とする僕に向かって、慎太郎くんは言った。
「好きだよ」
「……ぇ」
フリーズする僕に、彼はさらに言葉を続ける。
「虎介が好きだ」
「…っ」
耳を疑う言葉に僕が狼狽する中、慎太郎くんがこちらと距離を詰める。
それに反射的に座ったまま後ずさると、さらに間を狭めてきた。
怖い…。
まるで別人の慎太郎くんに、恐怖心を覚える。
「俺は虎介に触れたいし、キスしたいし、その先のことだって」
「ちょ、ちょっと待っ…」
気づけば背中には壁があった。
これ以上後ろへ行けない。
焦る僕の退路を塞ぐように両手を壁につき、慎太郎くんは僕の耳元に口を近づけた。
「虎介」
「…っ」
痺れるような感覚が全身に走る。
それと同時に、体が恐怖で竦んだ。
過去の記憶が蘇る。
僕を性的に触れてきた先生。
ストーカーしてきた女子生徒。
体目当てで襲ってきた後輩。
体を震わせる僕に気づいたのか、慎太郎くんはピタッと動きを止めた。
怯える僕を一度見つめ、その目を見開く。
そして俯くと、やがて溜息をついた。
体を離した彼は、小さな声で「ごめん…」と呟く。
それから慎太郎くんは、何も言わずにその場から去ってしまった。
僕はそれに何も言えず、動けず、ただただその場に座り込むことしかできなかった。
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