63 / 216

偽り4

「……ぇ」 思考が停止した。 彼がなんと言ったかよく理解できなくて、僕は呆然とその瞳を見つめ返す。 頬に添えられた手が、ゆっくりと肌に沿わせられる。 そして慎太郎くんは、僕の髪をそっと耳にかけた。 その手つきがやけに色っぽくて、僕は顔を紅潮させる。 心臓の音がうるさい。 指先が、ピリピリと痺れるようだ。 「俺と付き合えば、今までみたいな心配はないよ」 静かに紡がれる言葉は、まるで甘露のように甘く、同時にひどく冷たい。 誰だ。これは。 こんな慎太郎くんを、僕は知らない。 『あいつは俺なんかより、よっぽど悪人だから』 何故だか生駒くんの言葉が頭を過った。 困惑して、キュッと唇を噛む。 「俺なら虎介を守ってやれる。誰にもこの体を、触らせたりしない」 耐え切れず目を逸らした。 俯き、お弁当箱をギュッと握る。 彼がなんでこんなことを言うのか、全く分からない。 彼にそこまでして貰う理由など、どこにもないのだ。 ましてや、恋人だなんて…。 「こ、恋人って、こんな形でなっていいものじゃないと思う。ちゃんと慎太郎くんが好きだと思う相手と付き合うべきだよ」 下を見たまま、弱々しい声でなんとか伝えた。 それに慎太郎くんは何も言わない。 今、どんな顔をしているのだろう。 気になるけど、怖くて顔が上げられない。 震える手でお弁当箱を掴んでいると、不意にその手が慎太郎くんの手に包まれた。 ハッとして顔を上げると、至近距離に彼がいる。 呆然とする僕に向かって、慎太郎くんは言った。 「好きだよ」 「……ぇ」 フリーズする僕に、彼はさらに言葉を続ける。 「虎介が好きだ」 「…っ」 耳を疑う言葉に僕が狼狽する中、慎太郎くんがこちらと距離を詰める。 それに反射的に座ったまま後ずさると、さらに間を狭めてきた。 怖い…。 まるで別人の慎太郎くんに、恐怖心を覚える。 「俺は虎介に触れたいし、キスしたいし、その先のことだって」 「ちょ、ちょっと待っ…」 気づけば背中には壁があった。 これ以上後ろへ行けない。 焦る僕の退路を塞ぐように両手を壁につき、慎太郎くんは僕の耳元に口を近づけた。 「虎介」 「…っ」 痺れるような感覚が全身に走る。 それと同時に、体が恐怖で竦んだ。 過去の記憶が蘇る。 僕を性的に触れてきた先生。 ストーカーしてきた女子生徒。 体目当てで襲ってきた後輩。 体を震わせる僕に気づいたのか、慎太郎くんはピタッと動きを止めた。 怯える僕を一度見つめ、その目を見開く。 そして俯くと、やがて溜息をついた。 体を離した彼は、小さな声で「ごめん…」と呟く。 それから慎太郎くんは、何も言わずにその場から去ってしまった。 僕はそれに何も言えず、動けず、ただただその場に座り込むことしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!