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芽生える想い

「ね。虎介って自分のこと“こーちゃん”って呼ぶの?」 「えっ」 また登校中に慎太郎くんと会い、二人で歩いているといきなり衝撃発言をされてしまった。 僕が心底驚いていると、彼は嬉しそうに笑みを浮かべる。 「あ、てことは本当に呼ぶの?ちょっと言ってみてよ」 「い、いやあのっ、それは小さい頃言ってただけで今は言ってないから…!」 慌てて弁解する僕を、慎太郎くんは楽しそうに見つめていた。 見たところ変わったところはないけれど、あれから家に帰って両親に何かされなかっただろうか。 正直、土日の間気が気じゃなかった。 話を聞いたら、かなり父親を怒らせてしまったらしいけど…。 「あの、慎太郎くん…。家に帰ってから、大丈夫だった…?」 恐る恐る尋ねれば、彼は苦笑いを浮かべた。 よく見たら、少し疲れているように思える。 大丈夫なわけがないだろう。 それくらいの環境なら、慎太郎くんが苦労するはずがない。 そう考えて、まだ何も聞いていないのにひどく胸が痛んだ。 「もー最悪だったよ。特に母親ね。質問責めにあって、しまいには甲高い声で叱り始めて煩いのなんの。他の女の人たちには悪いけど、俺あの人のせいで異性に苦手意識持っちゃってるもん」 笑いながら話す彼に、僕は言いようのない思いでいっぱいになる。 明るく振舞っているが、その目が一瞬陰った気がした。 彼は無理をしている。僕に心配をかけたくないから。 本当は辛いのに、そういうの全部我慢しているんだ。 「……心の中には、誰でも1つ、コップが入ってるんだ」 「え?」 きょとんとする慎太郎くんに顔を向けて、眼鏡越しにその顔を見つめる。 「その中には思いやりが入ってて、その量や形は人によって違うけど、必ず限界がある。だからコップが空っぽになったら、それは心が空っぽになるってことなんだ」 「えっと、つまり何が言いたいかって言うと…」とあわあわしながら言葉を繋ぎ、次には思い切って切り出した。 「無理しちゃだめなんだよ。だから僕には、その…気を使わないで、いい、から…」 後半声が小さくなってしまったけど、なんとか伝えられた。 ふぅ、と息を吐く。自分の考えを伝えるのがこんなに疲れることとは思わなかった。 そうしていると、隣で彼がクスッと笑ったのに気づく。 大口を叩いてしまっただろうか。 早くも後悔の念に駆られていると、慎太郎くんに名前を呼ばれた。 恐る恐る顔を向ければ、彼は優しく微笑んでいた。その笑顔があまりにかっこよくて、つい見惚れてしまう。 「虎介、ありがとう」 「…っ」 ドクンッと心臓が跳ねた。 まただ。これは何なのだろう。 何故彼といると、こんなに心がざわつくのだ。 その疑問の答えは、どれだけ考えてもよく分からないままだった。

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