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10. 6
「食べたら帰ろう…送るから
雪が積もる前に」
「……歩いて帰れるから、1人で帰って」
またピシャリと言い放たれる。
完全に…見えない壁ができてしまった。
目の前に居るのに遠い。
俺はため息をついて立ち上がった。
伝票を持って1度櫂を見つめる。
櫂は頑なに俺から視線を反らし続け
立ち上がろうとはしなかった。
会計を済ませて、トイレに入った。
このままでいいのか?
俺は無理矢理でもアイツを家に連れて帰る
口実がある。教師として、生徒をこのまま
放置するわけにはいかないのだ。
そうだ、どうせ嫌われるならそこまでしよう。
櫂にウリなんてさせる訳にはいかない。
俺の目のとどく範囲で、そんな事、絶対に
許せない。
俺はトイレを出てもう一度櫂の座るテーブルに
向かった。
引きずってでも車に押し込んで、強引に家へ
帰すつもりだった。
でも1人で席に残っていた櫂の姿を見て
頭が真っ白になった。
櫂は窓の外を見たまま、指先で何度も目を
拭っていた。
正面から見たわけではないけど直ぐに分かった。
ー 泣いてる、、、。
まるで迷子の子供だ。強がったところで。
結局誰かが迎えに来てくれるのをまってる。
「ほら、帰るぞ!」
唐突に後ろから声をかけられて
櫂があからさまにおどろいて、服の袖で
ガシガシと顔を拭った。
「ま、まだいたの?1人で帰ってっ」
俺はそれを見てプッと笑ってしまう。
櫂を笑ったんじゃない。
必死で涙を隠す可愛いしぐさにやられてる
自分を笑ったのだ。
「さっきのさ…」
「……は?」
「さっきの…肌を合わせて寝てほしい…みたいの?
もう一度言ってくれない?」
俺が笑いながら言うと、ほんの一瞬 櫂は
真顔になって、それからみるみる紅くなってゆく。
視線をそわそわさ迷わせて、唇を触った。
ちょっと冷静になったら、もうあんな口説き文句
恥ずかしくて言えないんだ。
それでいい。その方が櫂らしい。
「…ほら、行こう」
「…ど、どこに…?」
「櫂が行きたい所に」
その言葉を聞いた櫂の表情が、ほんの少しだけ
明るく輝く。
その唇にすぐにでも触れたくなって、俺は
ああ、俺が負けたんだ、と心の中で呟いた。
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