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踏み出す2

去っていく幸に、千里は体を強張らせた。 その姿が見えなくなると、彼は肩を震わせる。 そしていきなり須藤へと抱き付いた。 初めてのことにされた須藤もその目を見張る。 「もう…、もう、おれには、あなたしかいません…っ」 「千里…」 「須藤さん。行こう?早く、おれ…」 こちらを上目遣いに見つめる潤んだ瞳に、須藤は歓喜した。 支配欲で満たされ、今すぐにでもどうにかしてしまいたい欲求を抑え込む。 「取り敢えず車に乗れ。家に着いてから、たっぷり慰めてやる」 「…はい」 ぐすっと鼻をすすりながら、大人しく千里が車に乗る。 それを確認して自分も中に乗り込み、エンジンを入れ出発した。 少しの間車内に沈黙が起きたが、やがて呟くように千里が切り出す。 「須藤さんって、奥さんがいますよね」 突然の問いに目を見張る。 横を見れば、俯いた状態の千里がいた。 感情の読めない表情をして、ぽつぽつと言葉を続ける。 「この前、須藤さんが部屋を出た時、あなたの携帯が鳴ったんです。そしたら画面に…」 「見たのか」 「すみません。音がしたのでつい…」 確かに自分には妻がいる。 だが親が勝手に決めた形だけのものだ。 今も単身赴任で別居状態だし、関わる機会など携帯越しぐらいでしかない。 「ひどい…、須藤さんまで…っ」 いると答えれば、千里は嘆き始めた。 その反応には優越感を感じたが、これで話が拗れても厄介だ。 「結婚はしているが、あいつとは形だけだ。愛情なんて持ち合わせていない」 「でも、向こうは違いますよね…?」 「まぁ…。でも俺はあんな女に興味なんてない。実家が金持ちなだけの世間知らずなやつだ」 そんな会話をしていると、マンションの駐車場まで到着していた。 車を停め、この話は終わりだとドアを開ける。 そうして千里を連れエレベーターに向かおうとした須藤は、 目の前の光景に足を止めていた。

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