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四、宵闇に染まる③

海が鳴る。 鳴いている…… あぁ、波が押し寄せて返して、また押し寄せる。 音と音が共鳴して、海が歌っている。 懐かしいな…… 覚えているよ。 あなたが歌っていた曲だ。 良かった。 歌声を取り戻したんだね。 もう一度、あなたの歌が聞けて良かった……ほんとうに。 これは、波の声じゃない。 あなたの声だ。 あなたが歌っている。 あの日が戻ってきたんだね。 (先生……) 息を紡いだ口に柔らかな感触が重なった。 少し濡れている。 啄むように。 親鳥が雛鳥に給餌(きゅうじ)するみたいに。 優しい気持ちが溢れてくる。 (あたたかい) 頬を大きな手が包んでくれてる。 気持ちが溢れ出す。 たくさん、たくさん、気持ちが生まれて溢れてくる。 俺、こんなに幸せでいいのかな? 俺だけ幸せにしないでね。 (先生も……) 幸せだったら嬉しいな。 この気持ちは憧憬よりも、もっと深くて柔らかで、優しくて…… この気持ちに名前はないけど。 (先生……) 受け取ってください。 『受け取ってくれるかな?』 あぁ、そうか……… 俺は思い出しているんだ。 あの日の出来事を。 (じゃあ、俺が受け取るのは……) 初めての先生からの贈り物は、とても嬉しくて。 心が舞い踊るほど嬉しくて。 『ブレスレットを作ったんだ』 貝殻のカケラを繋いだ真っ白いブレスレットを、先生はひどく優しく俺の手首に巻いてくれた。 『零戦に乗れば、もう帰れない。俺の体は粉々になって海に沈む』 それでも。 『最期の瞬間まで君と共にいたいと願うよ』 真っ白い貝のブレスレットは、貝じゃない。 白い貝は、先生の骨を模したもの。 骨さえ残らない特攻だ。 遺骨も帰らない運命だから、先生は運命に逆らった。 遺骨に模した貝のブレスレットを俺の手に巻いて。 最期まで共に。 ……と願った。 運命は止められない。 俺は悲しくて、悲しくて、涙が止まらなくて。 初めての贈り物が、とてもとても悲しかった。 「一緒に突撃しよう」 どちらが先に逝ってもダメだ。 残されてもダメだ。 先生を見送る事はしない。 先生も俺を見送らないでほしい。 最期まで共に。 俺達の願いを叶えるための約束。 運命は止まらないから、せめて…… 口づけの味が悲しいよ。 あなたに幸せになってほしいのに。 俺では、あなたを守れない。 あなたの手、こんなにあったかいのに。 (あったかいのに) あなたを抱きしめる俺の腕は、どうしてこんなにも冷たくなってしまったのだろう。 これじゃあ、あなたをあたためられない。 頬を滑る涙は、こんなにも熱いのに。 あなたは意地悪で。 もっと伝えたい。伝えなくちゃいけない俺の気持ちを塞いでしまう。 口づけが熱い。 意識が真っ白になって、思考を溶かしてしまう。 悲しみを蕩けさせて、悲しむ事さえ許してくれないあなたは意地悪だ。 俺達に残された時間は長くない。 もっと、たくさん口づけしたいのに。 白い貝殻に雫が落ちた。 俺の涙…… 『いっぱい泣いてくれて、ありがとう』 白い貝のブレスレットを巻いた俺の手首に、あなたは赤い舌を這わせた。

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