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五、ハルジオン②

『俺も出るよ』 教習を終えたある日。 あなたは俺を一人呼び出して、そう伝えた。 『俺も飛び立つ』 この翼は砕かれる。 あなたの言葉は、死の宣言だ! 「なぜッ」 あなたは教官だ。 あなたは教えればいい。海軍学校の学生に。教える事が務めだろう。 「あなたが飛ぶ必要はない!」 「なぜ?」 俺の言葉をそのまま返される。 「あなたは教官だからだ」 「教官は飛んではいけないのか?」 「そうだ。あなたが飛んだら、誰が教えるんだッ」 「教える事は、ここにはないよ」 軍上層部が特攻戦略を実行に移した根底にあるのは、涸渇だ。 一つは燃料の涸渇である。 資源の乏しい島国・日本は、戦争開始直後から既に燃料の涸渇が始まっていた。 そして、もう一つはパイロットの涸渇である。 戦争が長引き、多くの熟練パイロットが戦死した。 今、零戦を操縦するのは若いパイロットである。 当然、経験は不足している。 訓練に費やせる燃料は少ない。十分な訓練もできぬまま、経験の浅いパイロットが実践に投入される。 戦果をあげられるわけないじゃないか。 ゆえに…… 政府は決断したのだ。 戦果を上げられないパイロットなら、パイロットを弾にすればいい。ミサイルにすればいい。兵器にすればいい。 人を兵器にする事で、燃料の涸渇も弾薬の涸渇も急場を凌げる。 人をミサイルにして投入する事で、戦果を上げられないパイロットが戦果を上げる事ができる。 たった一つの命と引き換えに。 美辞麗句を並べ立てて、神風特攻計画は実行された。 あまたの人間をミサイルにしたところで、重厚な装備を持つ空母が沈む筈ないのに。そこはマスコミを手玉に取り、情報操作して。 俺達は捨て駒になった。 この戦争を長引かせて、国体護持のために。政府が延命を図るために。 日本を守る俺達は、日本に見捨てられたんだ…… この戦争は、振り上げた拳の落としどころを見失った政府の暴走である。 俺達は…… (先生) 国に見捨てられた者同士…… だから、せめて。 俺は、あなたを見捨てないよ。 (あなたは、生きて) 「分かってほしい……と言えば我が儘になる。だったら、これは俺の我が儘だ」 伝えたかったのに。 「君をひとり、逝かせたくない」 あなたの厚い胸に顔をうずめて、なにも言えなくなる。 俺の言葉は全部溶けてしまった。 あなたの体温に。 あなたの鼓動に。 あなたの逞しい(かいな)に抱かれて。 「戦地に送り死ねと教えるのは、終わりにしたい。既に上層部には志願を伝えている。君と共に逝くと決めたんだ」 あなたは酷い人だ。 (こんなにも……) 俺は、 こんなにも生きて欲しいと願うのに。 ねぇ、せめて。 あなたの熱い左胸の鼓動に、おれの言葉にならない気持ちは刻まれたのかな。 生きて欲しいから…… せめて。 生きられる間は、共に生きよう。 その期間は、もうそんなに長くないけれど。 好きです…… 先生…… 言葉が涙と一緒に溶けて、熱が溢れ出す。

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