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心臓(つむぎ)

『この前祈織さんのお家行ってね、祈織さんサイフォン買ってね、飲みに行ったんだけど俺より全然入れるの上手だった』 「え、サイフォン買ったの?やっぱりすごいねあの人」 『ねー、おれより全然いれんのも上手でね、この前マスターに教えてもらった、フィルター?のやつ教えたらすっごい上手にいれてた』 「へえ、器用なんだね。祈織さんって料理とかもできるんだっけ?」 『……それは、全く。前に1回カレー作ってくれた事あったけど8時間くらいかけてたよ』 「え、8時間煮込む本格派?」 『じゃなくて普通に野菜切るのとか手間取ってた。肉は切れてるやつ入れてたのに』 「へえ、なんでも出来そうなのにそういう所がかわいいんだね」 『お米炊くのとコーヒー入れるのは出来るんだって。だからサイフォンも上手に出来るんだね』 「そんなに上手だったんだ。一応僕プロなのに形無しだねー」 『そ!そんなことないよ!祈織さんのも上手だったけどマスターのいれたコーヒーのがおれやっぱり好きだし』 「あー、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」 コーヒーどうぞ、とマスターはお手本のコーヒーを入れてくれた 「紬くんは祈織さんの事好きなんだっけ?」 『あ、…えー、うん、すき、』 好きだ、祈織さんのこと 多分、好き 好きだったはず うん、すき 『好きだよ、うん、』 だって祈織さん、 優しくしてくれるし おれのこと、拾ってくれたし かっこいいし かわいいし、 『あ、あの、あれ、』 「ん?」 『な、んでもないです。んん、やっぱりマスターのコーヒーおいしい』 あれ、でも、 『今日のいつもより苦め?』 「うん、よく気づいたね」 『やっぱりそっか』 「そういう気分なんじゃないかなって思って」 『きぶん、』 へえ、そうだったかも うん、そうかも 『マスターって、なんでなんでもわかるしなんでもできるの?』 「そんなことないよ?なんでもなんてできないし、できることをしてるだけだよ」 『そうなの?でも、そんなこといったら、おれもっとなんにもできないよ?』 「そんな事ないでしょ?」 『コーヒーもマスターみたいにおいしくできないし』 「それは僕はずっとここで働いてるからだよ。簡単に抜かされちゃったらちょっとショックかな」 『ほかにも…おれ、たまにおもらしするし』 「…まあ、それは、うん。紬くんも大人になったらしなくなるって」 『……マスター、おれもう一応大人なんだけど、』 「……僕だって、えー、あー、あれだよ。虫とか退治できないし」 『あー、それなら、おれできる!』 「ほら、紬くんに出来て僕ができないことだっていっぱいあるんだよ」 と、マスターはにっこりと笑って頭を撫でてくれた その顔を見ると 胸の辺りがもぞもぞと動くような変な感じがした あれ、この感じ、 知ってる でも、この感じって 今までは なんか祈織さんといる時によく感じていた もぞもぞしてふわふわするような感じだったのに なんで、マスターといる時に この感じするんだろ わかるような、わかりたくないような感じだった 「紬くん?どうしたの?やっぱり苦かったかな?」 『え、えっと、おいしい、です、苦みがあって、』 「そう?でも、なんか辛そうな顔してるから」 『おれ、そんな顔してたのかな、』 この感じ、 辛いことなのかな? よしよし、とマスターは頭を撫でてくれると なんだか胸の中がじわじわした 「紬くん、いつもコーヒーの味の違いわかってくれるし、おいしいってたくさん褒めてくれるから僕も嬉しいんだよ」 『え?えっと、なんで?』 「だから、紬くんが辛いことあったらおしえてね。僕で良かったら力になるから」 『マスター、』 にこっと笑ってくれるマスターの顔を見るとたまらなくうずうずした、 そこで、ようやく認めざるを得ない感情がわかってしまった おれ、祈織さんの事好きだけど もう、前みたいな好きじゃないんだって 諦めちゃったんだって、 それで、 いま、祈織さんじゃない、 好きな人がいるって、 「…え?紬くん?大丈夫?なんで泣いちゃったの?」 と、マスターはおれの顔を見て 少しあわあわして すぐに涙を拭くようにおしぼりをくれた おしぼりって、と思ってしまったけど 『マスター、おれ、』 「うん?」 『失恋、してたみたい』 「そっか、」 と、マスターはまたおれの頭をふわふわと撫でてくれた 「辛いこと聞いちゃったね、ごめんね」 と、マスターはなんにも悪くないのに謝ってくれて よしよし、といっぱい撫でてくれた マスターが撫でてくれる間も おれの胸の中はもぞもぞ動いて、 変に痛くて、悲しくて 涙が止まらなかった なんで、恋すると 心臓の上あたりが実際に動く感覚あるんだろう こんな胸がもぞもぞして、 締め付けられて こんなの、 恋なんて、身体に悪い気がする だから、もう恋なんてしたくないのに なんでおれの感情って、性懲りも無いだろう

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