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青紫
「ただいまー!待っててくれた?」
--お帰りなさい、陽向さん。もちろん私は何時でも貴方のことだけを待っていますよ。
「それでね、今日こそあじに話したいことがあるんだ。あじも喜んでくれるかな?」
何時もなら疲れて帰ってくる陽向さんだが、今日はそんな素振りを1つも見せず、そわそわした様子で直ぐにそう切り出した。
--陽向さんが幸せなら私は幸せです。喜ぶにきまっています。
心配など無用なのに不安げにこちらを見てくる陽向さん。
大丈夫だよという意味を込めてユラユラと身体を揺らした。
その私の姿をみた陽向さんは漸く安心したのか顔を綻ばせる。
「あのね、俺、ついにプロポーズされたんだ」
プロポーズされた相手に貰ったものなのだろう指輪を私に向けながら、頬を少し赤く染めた陽向さんがそう告げた。
「誰からかはお前なら分かるよね?昨日漸く海外の支社にいた鯵本 が帰国してきたんだ、4年振りに!そしたらいきなり『俺と結婚してくれ』なんて言い出しちゃってさ」
「おいおい、本人がいる前で再現しないでくれないか。こっぱずかしい」
「あーもうっ!相棒に話してる途中に出てこないでよね」
陽向さんが私に話しかけているとその隣に何度も聞いたことのある名前の人物が立ちはだかった。
陽向さんは彼のことを話している時、楽しいことでも悲しいことでも1番生き生きとした表情をしていたのを良く覚えている。
そしてまさに今、生き生きとした表情の陽向さんを目の前にしている。
「相棒って...。この紫陽花か?此処に前からあった紫陽花2株の間に隙間が空いてたから、俺が海外に行く直前に陽向と一緒に植えたやつだよな?」
「そうだよ。『暫くお前に会えないが俺の代わりと思ってくれ』、なんて臭いセリフ吐いてたじゃん」
「ああ、確かに言ったが...。紫陽花に話しかけるほど大切にしているとは思っていなかった。それも俺の名前を付けて」
「何、バカにしてるの?別に鯵本の名前から取った訳じゃないし。あじは紫陽花の名称から取ったんだよ」
どうやら私は陽向さんと彼に植えられ、その年に私の意識が芽吹いようだ。
--ああ、陽向さん。
私の名は彼の名から取ったものだったのですね。
貴方は違うと言っていますが陽向さんのその表情をみれば直ぐに分かります。
「はいはい、分かったよ。紫陽花だから『あじ』なんだな。...あじ。今まで俺の代わりに陽向を見守ってくれてありがとう。これからも陽向を、いや、俺たち2人を見守っていてくれるか?」
呆れたように言いながらも鯵本さんが陽向さんの頭をぽんぽんと撫でる。
陽向さんは鯵本さんに顔を見られないように少し俯いているが、私からはその口元が嬉しそうに歪んでいるのがはっきりみえた。
--鯵本さん。
貴方の話は陽向さんから沢山聞いていましたが、陽向さんのお話通りとても優しい方なのですね。
何より陽向さんへの愛情が滲み出ています。
「あじ...。鯵本が言うようにこれからも俺たちのこと見守ってくれる?」
--...陽向さんの願いを私が無下にするとお思いですか?
もちろんこれからも貴方たちのことをいつも見守っていますよ。
...ああ、そうでした。
1番大切なことを言い忘れていました。
陽向さん...本当におめでとうございます。
陽向さんから鯵本さんの話を聞く度、貴方はいつか鯵本さんと結婚するのだろうと思っていましたし、それこそが貴方の幸せに繋がると私も感じていました。
ですから、陽向さんが漸く鯵本さんと結婚できると聞いて私は本当に本当に嬉しいのです。
.....なのに、どうしてなのでしょうか?
陽向さんからプロポーズの話を聞いた瞬間から何だか徐々に意識が遠退いていっているのです。
まだ6月も中旬、花が散る時期でもないというのに。
身体を揺らして陽向さんを祝福したいのに、何故だか少しも動かないのです。
先程これから陽向さん達を見守っていくと約束したばかりなのに。
どうして.....どうして.....。
普段は紫色の紫陽花が、その日は何時もより青く色づいていて、月夜に照らされたアパートの横でただ整然と佇んでいた。
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