「……なら、春樹とは上手くやっているのか」 言うまでもないことだと思いながらも、圭一郎はぼそりと声に出した。幸央と乾杯し、上唇のきわまで泡で覆いながら、口の中にビールを流していく。 「まぁ、それなりにな」 グラスから唇を離し、幸央は微笑を湛えながら答えた。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。横目で見た彼の黒々とした瞳に、十分すぎるほどの温もりを感じた。それなりに、とは言いつつ、年若い恋人との日々は、非常に満ち足りたものなのだろう。圭一郎も口元に淡い笑みを浮かべ、ビールをもう一口飲んだ。 ……１年ほど前までの自分であれば、彼のこんな表情を見てしまったら、沸き立つような嫉妬心に駆られていただろう。えも言えぬ汚い感情に胸や喉を掻きむしりたくなり、その衝動を堪えるように、彼に何かしでかしていたに違いない。 理知的だとか、親切だとか、「『坊っちゃん』が親譲りの無鉄砲だったなら、あんたは母親譲りのお節介ね」などと周りから言われている自分だが、ごく普通の人間なのだから、性根の悪い部分だってある。圭一郎は昔、幸央への未練から彼らの仲を随分と掻き回してやった。けれども結局、自分が入り込める余地などなく、幸央とは完全に終わっていた。 彼と再会したのが今夜で良かった。幸央に対してもう、特出した感情は抱いていない。吹っ切れたと言っていいだろう。ここ数ヶ月で、自らを取り巻く環境にちょっとした変化が起きたことも影響していると思う。それが良いことなのか悪いことなのか、判然とはしないが。 「お前の方はどうなんだ？」 幸央に訊ねられ、躊躇いはあったものの、圭一郎は正直に答えた。 「恋人ではないが、そういったことをする相手がひとりいる」 「……それって、所謂あれ？」 「それだ」 幸央の表情が翳った。それから逡巡するように目を伏せ、そして圭一郎を再び見た。 「悪い。俺がこんなこと言える立場じゃないのは分かってるけど、真面目に付き合える相手を見つけた方がいいんじゃないか？」 「これでいいんだ。今はまだ、そんな気分にはなれない」 「……悪い」 幸央は申し訳なさそうに圭一郎から視線を外し、ハイボールをひと口飲んだ。……そんな顔をさせたかったわけではなかったが、適当なことを言いたくもなくて、結局、彼に罪悪感を植えつけてしまった。圭一郎はゆっくりとかぶりを振った。 「お前が気にすることじゃない。これはもう、俺だけの問題だ」 「でも……」 「心配するな。それなりに楽しくやっている。だが、いつまでもこのままではいけないのも分かっている。お前が言うように、ちゃんとした付き合いができる人間を探すさ」 幸央は納得していいのかどうか分からないといった複雑な表情を見せてきたが、圭一郎が「大丈夫だから」とはっきりと言うと、肩をすくめながらもそれ以上は何も言ってこなかった。 それからは、取るに足らない世間話を少しだけして、幸央は空になったハイボールのグラスを置き、チェックを済ませた。「明日は朝早いんだ」と言うので、「路面凍結に気をつけろよ」と返せば、相手は穏やかに微笑んだ。 「ありがとう。お前も気をつけて」 チェスターコートにモスグリーンのカシミヤのマフラーを巻き、幸央は店を出て行った。……元恋人同士の邂逅なんて、所詮はこんなものだ。味気ないとまではいかないが淡泊で、微妙に気まずい。圭一郎はドライ・マンハッタンとサーモンとチーズのカナッペを頼み、グラスにふた口ほど残っていたビールを飲み干した。 ……水曜日まで、長いな。胸のうちでぽつりと呟いた。