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第8話
「……何でオムライスが好きなの?」
ひとしきり笑ったのち、まなじりに浮かんだ涙を拭い、息を整えたリョウが訊ねてきた。……答えればまた、大笑いされるだろうか。まぁ、いい。空き缶をゴミ箱に捨て、圭一郎は口を開く。
「職場の近くに洋食屋があるんだ。そこのオムライスが、大袈裟かも知れないが、人生で一番美味いと思ってる。見た目は昔ながらのオムライスだが、中身は鶏肉の代わりに牛ミンチとチーズが入ったバターライスなんだ。それがすごく美味くて、好きになった。それを食ってる時が、一番幸せだ」
「なるほどねぇ。確かに、オムライスの話になった途端、顔が明るくなったね」
リョウは笑わなかった。いや、笑ってはいるのだが、先ほどのような滑稽で仕方がないといったものではなく、その店のオムライスを食べている圭一郎を想像して、微笑ましくなっているようだった。それはそれで気恥ずかしかった。圭一郎は知らずのうちに緩んでいた頬を引き締め、リョウから目をそらすと、脱ぎ散らかしたシャツやスラックスなどを掴んで着替え始めた。
「お店の名前はー?」
「《太陽亭》」
「《太陽亭》ね……今度行ってみよー」
行くのは別に構わないが、できれば会いたくないと思いながら、圭一郎はシャツのボタンを留めていく。そして、明日の昼休みもまた《太陽亭》へ行こうと決めたのだった。
「―……ちょっと会わないうちに、とんでもない子ととんでもないことになってたのね」
ため息混じりの声と一緒に右頬にかかったのは、紅茶の香りがする煙だった。圭一郎は煙草を吸わないが、アークロイヤルの匂いは好きだ。色気のあるオンナが吸っていれば、尚更……なんて口にすれば、案外嫉妬深い隆仁に何を言われるか分かったものではないので胸のうちに留めておくが。
2月27日、月曜日。時刻は夜の7時半を過ぎたところだった。
開店したばかりの《ビヨンド》には、圭一郎と隆仁の恋人の梨々子しか客はいなかった。
梨々子は源氏名だ。今夜は9時から勤務先の女装バー、《ローズ・ブルーム》のシフトに入るため、オンナの姿でこの店に来て、そのまま勤め先へと向かうそうだ。カノジョの本名を知っているが、オンナの時は源氏名で通したいと言われているので、圭一郎は隆仁の許可を得て「梨々ちゃん」と呼んでいた。
胸元くらいまで伸びた、まっすぐでツヤのある黒髪は地毛だ。ブラウンの淡いアイシャドーと黒のアイライナー、ベージュピンクのチークとグロスのみのナチュラルメイクだが、十分に艶やかな女性に見える。ゲイ雑誌の読者モデルでもあり、《ローズ・ブルーム》では「上品なクールビューティー」ポジションにある店長の馨と同等の人気を誇っていた。2年ほど前にオープンした若い店だが、二丁目での評判は上々で、圭一郎も何度か遊びに行っていた。
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