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第10話

繁忙期である年度末を終え、年度初めを迎えた。都内の至るところで、桜の花びらがうららかな風に乗って舞う季節になった。 4月1日、土曜日。時刻は11時を過ぎ。圭一郎は銀座の百貨店にいた。 今週の火曜日、6つ下の弟の妻が第1子となる男児を出産した。 逆子だったため帝王切開となったが、母子ともに健康で、感涙にむせながら電話をかけてきた弟にお祝いの言葉を伝えた。早稲田大学の商学部を卒業後、日本最大手のシンクタンクに就職した弟は、圭一郎と似ているところがあれば、真逆な部分もあり、理解できるようでできない奴だが、昔から仲は良かった。 そうか、アイツが父親になったのか。電話を切った後にその実感が少しずつ湧き、感慨深くなる。その一方で、アイツに赤ん坊の世話が務まるのかと不安になったが、奥さんの美香ちゃんが上手いことアイツを遣ってくれるだろうから、心配することはないかと思い直した。 その翌日だった。今度は町田市の実家に住む母親から電話があり、「あんた、隼二のところのお祝い、ちゃんと考えてる? まさかお金包んで終わりにしようなんて思ってないわね? もし、何を贈ればいいのか分からないなら、今週末にでも一緒に買い物に行ってあげるわよ?」といつものお節介が炸裂していた。 4人兄妹の長女で、さらには長年小学校の教師を務め、現在では市内の小学校の校長にまで出世した母親は、昔からそんな人で、都内の地方銀行を勤めあげ、現在は悠々自適な年金生活を送る父親を、尻に敷き続けている。 ゲイの知り合いの多くが、「実家から勘当された」とか、「家族に隠し通している」と言っている中、圭一郎は両親と弟、それに義妹の美香ちゃんにも同性愛者だと知られ、幸いにも受け容れられていた。その代わりに母親からは、「あんたが女の子と結婚しないのは分かったから、私とお父さんの老後の世話は任せたわよ」と耳にタコができるほどに言われていた。 母親からの電話で、出産祝いを失念していたことに気づいた。「ねぇ? 一緒に行く? ついて行くわよ?」としつこく言ってくる世話焼きの塊に「大丈夫、ひとりで行く」と押しきり、次いであれこれとアドバイスをしてくる声を聞き流しながら電話を切った。……取りあえず次の休みに、百貨店へ行ってみようと思い、本日、銀座は菱井百貨店へと足を運んだのだった。 所帯持ちの同僚から話を聞き、インターネットで調べ、そしてここ6階の乳幼児服の専門店の店員とも相談した結果、クマのキャラクターの3段おむつケーキと、オーガニックコットンのバスローブを2色買うことにした。会計は2万5千円ほど。相場にも合っているし、何よりも老舗ブランドだけあって、使われている素材やデザインが良かった。男児ということで、水色の包装紙で包んでくれるという。 「ご準備ができるまで、しばらくお待ちください」と言われたので、圭一郎は店先へと出て、所在なくフロア内に視線をやった。……これなら母親からも及第点以上はもらえるだろうし、弟夫婦もきっと喜んでくれるはずだ。週明けには美香ちゃんと赤ん坊が退院し、一旦は宮田の実家――町田市の両親宅でゆっくりと過ごしながら、母親が弟夫妻に育児のいろはを叩き込むそうなので、どこかで有給を取って会いに行こうと考えていた。

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