「30歳を目前にして、付き合っていた恋人と別れた」 リョウは眉をあげ、「え？」と声を出した。突然どうしたと言わんばかりの反応に、そうだよなと思わず苦い笑みを浮かべる。けれども圭一郎は、構わず続けた。 「その頃、互いに仕事が忙しくて、すれ違ってばかりだった。相手のことを考える余裕がどちらにもなくて、くだらないことでいちいち喧嘩するようになった。しまいには向こうから合鍵を突き返されて、俺たちの関係は終わった」 リョウはこちらの話を黙って聞いている。その表情に、特に色はついていなかった。圭一郎はベッドの下に落ちた服を拾い、着替え始める。 「それからはずっと、後悔ばかりの毎日だった。俺はまだ相手のことが好きだったし、喧嘩の最中、感情に任せて酷いことばかり言ってしまったのを猛省していた。だから、もう一度会って復縁を迫ろうと何度も思った。だが、できなかった。……別れを切り出された時、俺はどうしようもないほどに拒絶されていた。またあんな風に泣かれてしまったら、全身や言葉で全面的に拒まれたらと思うと怖くて、二の足を踏み続けてしまったんだ」 シャツを着て、スラックスを履き、ベルトを締め、圭一郎は淡々と話を続けた。 「別れてから２年以上経った頃、相手に新しい男ができたんじゃないかと人伝てに聞いた。その時はまだ、相手への未練が断ち切れていなくて、自分でも驚くほどに嫉妬した。そこで初めて、相手に会いに行った。……噂で聞いたように付き合ってはいなかったが、若い男と一緒に暮らしていて、惹かれ合っているようだった。俺はその現実を恨んだ。憎んだし、腹立たしかった。だから、新しい男から相手を奪おうとした。……今思えば、馬鹿なことをしたと思う。相手をまた傷つけて、結果的には相手の新しい恋を手助けするかたちになってしまったんだからな」 まるで、三流の恋愛ドラマのようだった。恋横暴の自分が必死になって幸央を取り返そうとすればするほど、彼は春樹との仲を深めていった。雨降って地固まるという諺があるが、自分はまさに彼らという土壌に降る雨で、それ以外の何でもなかった。 慣れないこと、エゴを押しつけるような真似はするものではない。ろくなことにならないのだから。小学校の道徳の授業で習うようなことを思いながら、当時の圭一郎はさらに大きな後悔を抱いて、幸央から身を引いたのだった。 「……なんか、意外だね」 リョウはいささか驚いたような、あるいは、まるで珍しいものを見るような目を圭一郎に向けていた。 「宮田さんってすごい淡泊そうだなって思ってたから。そんなに執着しちゃうんだ」 「俺も、そいつと付き合うまではそうだと思っていた。だから自分でも驚いた。俺は、こんな奴だったのかと。……初めて思い知ったんだ。喉から手が出るほど欲しいものほど、どれだけこっちが必死になっても手に入らないんだと。それに気づいた時は、何もかもが遅かった。もっと前に気づいていれば、何かが変わっていたのかも知れないな」 幸央との件を、心情をまじえて他人に披瀝したのは、これが初めてだ。隆仁や梨々子にさえ明かしていない、自らの胸底に押し込めていた思いだった。それをまさか、リョウ相手に語ることになるとは。……嗤えた。 そして、人間は過ちを繰り返す。何度も、何度も、飽きるくらいに。