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第19話
「――……大角って今日まで休みだったか?」
いつもなら圭一郎より先に出勤し、爽やかな笑顔と声で挨拶をしてくる例の新人がいなかった。彼の席はクリップのひとつも置かれていない、綺麗な状態だ。圭一郎は向かいの席ですでにメールチェックを始めている同期の笠原に気怠く挨拶をし、そう訊ねれば、呆れたと言わんばかりに笑われてしまう。
「おいおい宮ちゃん、休みが長過ぎてボケてんのか? 1年共は今日から3日間、研修センターに缶詰めにされるって話だったろ」
「……あぁ、忘れてた」
笠原の言う通り、ボケているのかも知れない。圭一郎はいささかバツが悪くなりながら、席に座った。
自分たちの頃もそうだったが、ゴールデンウィーク明け早々に、新卒者は集合研修を受けることになっている。外部から講師を呼んでのキャリア研修やプレゼン研修など、様々なことを学ぶ機会があるのだ。
「懐かしいよなぁ。俺たちにとっちゃ10年以上も前の話だ」
「ということは、お前とはその頃からの付き合いになるのか……」
「おーい宮ちゃーん、何でそんなげんなりした顔になんだよぉ?」
お調子者の笠原が仰々しいまでに落胆した声と表情を向けてくるので、「何言ってんだ。心底幸せだ」と半分は本音で、半分は建前で言葉を返し、デスクトップPCを起動させた。
――……そうか。もうそんな時期になるのか。
感慨深くなると言うよりは、驚きの方が大きかった。目まぐるしく過ぎていった4月のこともそうだが、圭一郎はあのすれっからしの青年について考えていた。
リョウとはもう、1年以上会っていない。あの日から一度も、彼からの連絡はなかった。
関係を完全に切られたのだろう。それもそうだ。太平楽を地でゆくような青年だったが、圭一郎のあの発言には流石に機嫌を損ねたに違いない。『嫌味なことを言って蔑んでくる嫌なオヤジ』と思われても仕方のないことをした。そんな男と二度と会いたくないと思うのは、至極当然のことだ。
それに、圭一郎もこれといった未練もなく、今のようにたまに彼を思い出しては、「三十路を過ぎた男が、よくもあんな爛れたことをしていたな」と自分自身に呆れるだけだった。
それにしても、二丁目やその界隈でこの1年、彼の姿をとんと見かけなくなった。
いったい何があったのか、ちゃんと生きているのかと考えないこともなかったが、彼のことだから、どこかでのらりくらりと過ごしているのだろうとも思っている。
もしかすると、高級家具屋に同伴していたご老体に本格的に飼われたのかも知れない。……自分には関係のないことだった。
弟の息子も1歳の誕生日を3月末に迎え、すくすくと健やかに育っている。出産祝いに贈ったバスローブは、だいぶ前に着れなくなったが、おむつケーキに付属していた涎かけやタオルは愛用中とのことだ。
甥っ子は日に日に義妹に顔が似てきて、男児だが可憐さがあった。弟夫婦はもちろんのこと、圭一郎の両親と義妹の家族のほとんどが、目に入れても痛くないほどの溺愛っぷりだ。弟から毎日のようにテキストチャットに送りつけられる甥っ子、ときどき義妹の写真で、圭一郎のスマートフォンの容量はかなり占められていた。
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