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第3話 想い人との再会
告げられた店は、酔客が杯を重ねて賑わう古風な作りの小料理屋だった。居酒屋の暖簾をくぐると、すぐに弘前がカウンターでうれしそうに手を振った。店の雰囲気は落ち着いていて、カウンターにはおばんざいが数品こんもりと大皿へ盛られ、一列に並べられている。
不意にもうひとり、弘前の横で長身の男が腰かけているのがみえた。視線がかち合った途端、どきりと胸に痛みが走り抜ける。
のどにトゲが刺さるような、いやな予感がした。
桐生 だ。
別れた、いや、付き合ってもなかった。身体だけの関係だった相手がそこに座っている。笑顔をつくる口の端が自然とぴくぴくと引きつった。あれから三年もたつが、すっかりトラウマになっていたことに気がつく。
切れ長の瞳から鋭い視線を帯び、やや栗色の柔かい髪は綺麗に撫でつけられ、後ろへ整えられていた。ラフな格好で、手には冷えたビールを持っていた。
ビールなんてものを飲むのか、とはじめて知った。
いや、弘前と知り合いだったか……。
いや、でも……。
でも、いまさらだ。
頭の中でフラフープがくるくるとまわる。混乱しながら弘前の横へ並び、カウンターへしずかに腰かけた。
塞ぎ込んだ気持ちを発散したかったが、気分はすでに地の底を這うようにどろどろとしていた。すでに後ろの引き戸をひいて、帰りたい。
どうして恋人と別れて、セフレだった男と会わなければならないのだ。拷問だ。おもいっきり弘前に愚痴をはらす予定だったが、元カレがいる横で恋人に振られた話をしなければならないのだろう。
「あ、自己紹介からかな。二人ともはじめてだよね? こちらは桐生 楓 くん。桐生くん、倉本 皐月 だよ。皐月、桐生くんはいまの同居人とちょっとした知り合いで紹介してもらったんだ。彼、警察官だし、事件の話とか色々聞こうよ〜! 気になるだろう?」
……へぇ。そんなの、一度も聞いたことがない。
「あ、ああ、そ、そだね……」
なにも知らない友人はにこにことほほ笑んでいた。残酷だ。目の前に置かれた冷えたおしぼりを手にかぶせながら、ぎこちなく笑った。
みるなよ、いまさら……。
桐生はじっと、もの言いたげな視線を送っている。が、わざとそらしてしまう。
「どう? 新生活は落ち着いた?」
「うん、落ち着いた」
「どこらへんだっけ?」
「都内のはしっこだよ」
「へぇ、でさ、実際どうなの?」
「あ、ビールがきた」
弘前は店主へいくつか注文して話しかける。自分はぶっきらぼうに返し、注文したビールを一気にぐびぐびと呑んだ。
「ち、ちょっと、ちょっと、ペース考えなきゃ……」
やけ酒じゃない。
とりあえずアルコールをある一定まで飲みたい。
酔えば、この沈んだ気分が晴れるだろうと思った。胃の中に火がついたような熱さが走る。
二週間前のくそみたいな別れから、アルコールは飲んでいない。日本酒を注文し、カウンターから差し出されるとすぐにとっくりをお猪口へ傾けた。
「飲むペースは考えてるよ。そういえばシェアしてる同居人とはうまくいってるのか?」
「え、ああ、紅葉 ? 生意気なほど元気だよ。色々振り回されて、毎日疲れちゃうけどな!」
ケラケラと笑いながら、弘前はビールをあおった。
同居人の紅葉は犯罪心理学の学者で、いつも好奇心旺盛なこの弘前を振り回しては事件を分析しているらしい。ミステリー作家にしてはいいパートナーを見つけたと感心している。
杯を重ねる自分と弘前の横で、桐生がくすりと笑みを落とした。
「弘前さんだって、十分に振り回してると思いますけどね」
三年前にはなかった、いや、向けられることがなかった、さわやかな笑顔。思わずきょとんと横から瞳を凝らしてみた。
数年前の桐生だったら、笑わない。そもそも表情というものがない。それなのに、凛々しい男前が優しい顔立ちへ崩れていくようにかわっていくのをみてしまい、ついつい驚いてしまった。
「ひどいな。そういえば桐生くんも振り回されたりしたことある?」
「……まぁ、ありますよ」
一瞬こちらを見たと思ったが、桐生は飲み残したビールを持ち上げて喉に流し込んだ。
おれではない。おれじゃない。
「葉月さん? 男なのにかわいいよね~!」
「ええ、おとこです。つき合ってます」
付き合ってる人がいたのか……。
ああ、そうだな。そりゃあ、三年も経てば恋人ぐらいいるだろう。
桐生は警察でもキャリアだ。引く手数多なのは頷ける。
ほっとしたような、悲しいような気持ちでどこかで聞いた名前が頭にこびりついた。
葉月という名はどこかうろ覚えで、頭のすみで引っかかる。
「はづきって……」
「ああ、皐月、蒼の弟だよ」
杯に酒を満たし、一気にぐっと盃を空にする。先程まで人をバカにしようとしてたくせに、弘前はいまだにハイペースで飲んでいる。
あ、ああ、ああ、そうだ。
蒼がたまに話題にだしていた。
「……あおいのおとうと?」
蒼の会話がぽろぽろと浮かんで、点と線が弧を描いたように結びつく。
「そうだよ、蒼と葉月さんは母親が違うけど菫蒼 、菫葉月 さん、菫時雨 、それと菫双 くん」
ごにん……。いや、多いだろう。
腹違いなどいろいろと複雑なのは知っていたが、こみいったことはあまり聞かされていない。
所詮、三年の重さなんてあの電話と同じだ。
なんとなく、この友人と繋がっている限り、桐生と蒼とは断ち切れない、そう考えてどしりと胃の中が鉛のように重くなった。
「桐生さん、男でも、恋人ができて羨ましいですね」
目も合わせず、隣に出された冷水をごくごくと潤した。あれから三年経っても自分はなにも成長していない。
あれだけ冷たかった桐生も笑顔を見せてくれ幸せそうなのだ。よかった。それはよかった。
「あれ? 本当に別れたの? きみだって、男とつき合っていたじゃないか。蒼、皐月にベタ惚れだったよね?」
弘前はびっくりした目でみつめる。わざとらしい。
蒼から話は聞いてないのだろうか、弘前は蒼と同じアメリカのハイスクールと大学を出ていて仲がよい。とっくに別れたことなんて耳にしていたと思った。
「ほかに好きな人がいたんだよ。俺みたいな不格好な奴なんて、何番目でも変わらない。しかも蒼はもう恋人とつき合って、よろしくやってる」
皮肉だ。
ニ番目にもなれなかった隣の隣にわざと聞かせて、不幸を自慢している。酒が回ってつい本音を口にしてしまった。すべて酒のせいとしよう。
桐生へ視線を泳がせるが、俯いていて表情はみえない。
桐生とはこういう店にも行ったことはなかったし、一緒に住んでも、仕事ばかりでヤルだけという大変悲しいものでしかない。いや、まて。旅行はよくしていたかなと考えるが身体だけ重ねていた事実に変わりはない。
まったくついてないな……。
まさか数年後に他人のフリをして皮肉を言うなんて。少しも成長できてない自分が馬鹿馬鹿しくて、心の中で笑ってしまう。精神的にも子どもに等しい。あの頃とかわってない。
「いやいや、本当に蒼は君のこと、大好きだったはずだよ? 会えば意味不明なノロケを永遠と聞かされるし、いつも君の汚い寝顔の写真を見せつけてくるし、いい迷惑だったよ」
それは本当にいい迷惑だ。
蒼がやりそうなことだと想像できるが、もう責める相手は違うところにいる。
「……いいんだよ。しばらく経てば、また忘れる。恋愛なんてすべて時間が解決してくれたし……」
気がつくと、桐生がじっとこちらをみつめているのがわかった。
すでに幸せを掴んだ奴にはわかるまい、どうせまた見つけたと思っても幸せはまた消えるかもしれない。
みじめだ。だが、口にはだしたくない。
「そうかな………。もう一度話してみたら? 多分、蒼は君から連絡くるのをまってるよ?」
「連絡はしない。もういい。蒼のことは忘れるよ。……新しい住所も聞かれても、教えないで欲しい。もく二度とあいつの名前をださないでくれ」
また日本酒を煽るように飲むと胃がカッと熱くなった。きょうはよく眠れそうだ。あれから二週間あまり寝つけていない。
すぐには立ち直れないのはわかってる。
あれからずっと低飛行のように普段の生活をなぞって生きている。
「……うーん、分かったけど、あまり飲み過ぎないようにね」
肩を落としてうなだれた自分に弘前は優しく背中をさすった。
それから散々日本酒を注文して、飲み散らした一行は会計を済ました。自分はぐったりと桐生に項垂れながら店をでたが気にもとめなかった。
◇
そとはとっぷりと闇に沈んでいた。弘前と桐生が並んで歩いて、その後ろを自分がついてくるように歩をすすめる。大通りにでて、自分は流れ行く夜色をまどろんだ目つきで眺めた。
桐生は片手で弘前を支えて、さらに空いた手で電話している。用件が済むと、すぐに端末の電源を落とした。
するとどうだろう。すぐにフォルクスワーゲンがやってきて、道脇に止まる。運転席からは金髪のやけに美形な男が顔をだし、桐生と会話を交わすと、後ろの座席に半分寝ている弘前を押し込んであっという間に車は消えていった。
「さて、お前はどうする?」
突然の外人の登場に呆然としていた自分は、落とされた声にびくりと身体がびくついた。
「帰るよ……」
桐生から体をはなし、背中を向けてとぼとぼと背中を丸めておぼつかない足取りですすんでいく。その瞬間、手首を掴まれ、ぎゅっと動きを止められた。
「待てよ。俺は話をしたい。あと一軒行かないか?」
振り返りたくない。
流れるネオンと車のライトが横で滑るように照らしては消えていく。これが三年前だったら、俺は天にも登る気持ちだったのかもしれない。
「……俺は、話したくない。ごめん、また連絡するよ」
自分に言い聞かせるようなセリフだった。
嘘だ。連絡先なんてもうない。消した。
話すこともなければ、もう二度と会いたくなかった。いや、会う資格なんて本当はないのだ。
ぐっと引き寄せられるように身体を引っ張られ桐生の手を力一杯おおきく振り払った。
「さつきっ……!」
先程までの顔つきとは別に、桐生は射るような目つきで怒鳴る。聞きたくなかった。幸せな奴からのアドバイスは戯言なのだ。
「……恋人、いるんだろ。幸せになって安心したよ。俺は大丈夫だから」
笑ってそう言うと、すぐに走って逃げた。なんともみじめだ。
左手を曲がった所で、誰かの気配を感じ、桐生が追いついたと思った。
その瞬間、腰あたりに鈍い痛みと頭に鈍痛を感じる。鈍痛と微熱が腰と足に絡みつき、一瞬で目の前がコンクリートとぶつかる。
ゴンという音と、ぼやけた視界に何があったのか理解できない。立っているのか、倒れたのか分からずコンクリートの冷たさが頬に当たる。
頭、打った……。
低くなった視線と腰あたりに触れた手はガタガタと震え、真っ赤なものがべっとりとついていた。
薄れる記憶の中、離れたはずの桐生が必死なにか叫んでいる。
自分になにが起こったのか理解できない。
はやく帰って、原稿を仕上げないと。
あと、戸締りしたんだっけ……。
じっとりとした暑さのせいか汗なのか、額がべっとり貼りついて気持ち悪い。
食い入るように見つめる桐生の双眸がちかい。桐生が心配してくれる顔を初めて間近でみて、笑いそうになった。
……俺はだいじょうぶ。
「おい! 話すな! しっかりしろ…!」
耳の奥で桐生の声がこだまする。
そこから記憶がふつりとない。
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