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第10話 桐生の手料理
「……この煮しめと味噌汁とってもおいしい。桐生、料理できたんだね」
柔らかく煮えた人参を頬張りながらほめた。目の前にしずしずと鎮座する作り主は無言で味噌汁をすすっている。
お手製の味噌汁、つやつやの白米、煮しめ、昆布だしがきいた浅漬けのきゅうり。料亭のように盛りつけられた料理が、所狭しと並べられている。
素材は近くの商店街で買ったものではなく、産地直送ではるばる地方から取り寄せたもの。金に糸目をつけることなく、どんどんネットで肉や魚、酒、野菜を注文しては毎日料理にしているのだけど……。
もちろん、自分が作ろうかと提案したが、それはすぐに却下され、趣味をも越えるこだわりを見せつけられ、その意力もすぐに失せた。
退院してから数日たつ。桐生はおもに料理を担当し、自分は洗濯など手伝いをしながら慣れない生活を過ごしていた。予想していたモノとは違い、気楽で気ままに暮らしに不自由はない。欲しいものがあれば、桐生に頼めばいいし、食べたいものを願いでれば用意してくれる。
そしてワンルームを予想していた新居は都内有数のタワマンでもなく、郊外の閑静な住宅地にあり男二人が暮らすには十分な一軒家だった。
初めみたときは、なぜいい歳の独身男性である自分が庭つきを選択するのか疑問におもった。仕事はそこまで行き詰まっていたのだろうかとそのボロ屋を見て心底心配になってしまった。
仕事の進捗を確認すると、生活が逼迫するほどではなかったので単に気分を変える為なのだろう。
しかしながら、このボロ屋のセキュリティは万全だ。桐生は入院中に一番高いセキュリティ契約を警備会社と結び、家中にやれモニターやセンサーが目を光らせている。もちろん、外出時は必ずセキュリティモードに切り替えてから出なければならない。
切り替えを忘れると警戒アラームが鳴り響くので、大変面倒臭い。
そして残念なことに、この家の中に金庫や貴金属類はなく、慎ましく暮らせるぐらいの数字を記した通帳だけしかない。警備会社も厳戒なセキュリティを結んだがいいが、ドロボウも首を傾げてしまう。
一階は寝室、居間などの生活住居で、二階は二部屋あった。そのうちの一部屋は桐生が持ち込んだ大量のファイルと書類に埋め尽くされ、残り一部屋も桐生のスーツやパソコンなどが所狭しと置かれた。
昼は別々に家の中にいながら夜は一緒に寝室で布団を二つ敷き雑魚寝をしている。
流石に恋人がいる奴と共に寝るわけにはいけないと、断ったが二階も布団を敷く隙間はなく、狭い家の中で寝る場所も限られた。
もちろん今朝など気がついて目を覚ますと頭に硬い感触を感じ腕枕されていたと知ると、心臓がとまりそうになった。慌てて飛び起きたが、桐生は何食わぬ顔でそのまま起きた。
その様子を見ながら、今夜は少し布団を離して寝ようと誓った自分がいた。
三年前ですら共に寝室で寝た事がなかった為、朝、目の前に桐生の寝顔がある事すら信じられないのに急に距離を詰められ、まだ落ち着かない。
「今日は通院か?」
桐生は料理の褒め言葉は気にも止めず、今日の予定を聞いた。
「いや、今日は担当と打ち合わせがあるんだ。お昼は大丈夫」
「……分かった。何時に帰宅する?」
「夕方には帰るよ。目処がついたら連絡する」
「今日は刺身だ。早く帰ってこいよ」
晩ご飯の品書きを言ってるだけなのだが、まるで犯人を尋問している低い声で言うものだから似合ってない。
「……ふっ……。本当家庭的なのに似合わないな」
堪えていた笑いが吹き出してしまった。
桐生は一瞬驚いたが、すぐに不機嫌そうに漬物を噛んだ。
「料理は好きなんだよ」
ぼそっと恥ずかしそうに呟いた。
パリパリと音がした。
確かにこの漬物も美味しい。
「昔は作ったりしなかったのにな。……なんかすごい変わり様にびっくりした」
「あの時は色々忙しくて、お前が作ってくれた料理も無駄にして悪かった。ずっと家で待ってたのも知ってたんだ……ごめん」
桐生は真剣な眼差しで謝罪した。
「別にいいよ、過ぎた事だし。……とにかくご馳走様」
あらかた平らげた食器を片付け、立ち上がった。別に怒っているわけでもないが、なんとなく気恥ずかしかった。
桐生は贖罪のつもりで俺の為に作ってるのだろうか。
恋人でもない元セフレにご飯を作って、過去俺が作って口にもされない料理達が浮かばれる。
ただ黙ってる桐生を見下ろすと、桐生も食べ終えたようで箸を止めていた。
「おまえと食事をしたり、外に出かけるとか全然なかった」
「……もう昔の事だろ。」
とは言え、昨日のようにその辛い記憶は鮮明に残っている。外食も外出も、家で食事することもなかった。ただ身体だけ繋げていた。
「本当にごめん。もっと大切にしてれば……」
「その話はもうやめよう。その分、今の恋人を大切にしてくれ。だから暫くしたら、必ずここを出て行けよ」
自分はそう言い放ち、隣接している台所に向い食器を浸した。冷たい水が気持ちよく、横から雀の鳴き声が聞こえた。
聞きたくなかった。
怒りとも言えない不思議ない感情が沸き上がる。
直近の記憶では三年前、桐生は俺とセックスをしてすぐにシャワーを浴びて会話もせずに出勤するほど冷淡なものだった。
せっかく忘れていたのに、記憶がフラッシュバックのように蘇る。
あれから三年だ。桐生には恋人がいる。
急に別人のように謝られ、許したとしてもその優しさは自分でなく別の恋人に向けられてるのだ。
絆されて、許しても何も自分には残らない。
流れる水音と背中の向こうに座っている桐生の沈黙が辛かった。
桐生の恋人に対する罪悪感はある。
どうせ桐生は恋人の元へ戻る。
流れる水音を聞きながら、何度も桐生はもう他人のモノなんだと念じた。
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