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第11話 蒼との再会
あれからお互い無言で必要な資料とパソコンを鞄に入れ、逃げるように家を出た。
最寄りの駅まで歩いて、うだる暑さに人気がない喫茶に逃げ込む。
軽快なジャズが流れ、居心地は良くコーヒーの味も申し分ない。朝から滲み出たもやもやとした気持ちを鎮まらせるように、ノートパソコンを開いては閉じてを繰り返して駄文を書いていた。
「――……あの、これ、落ちましたよ」
犯人が見つかりそうになるシーンまで書き上げて、声をかけられた。
目の前に差し出された資料の紙にふと顔を上げると、どこかで見たことのある顔だった。
男は桐生より背が高く、ハーフなのか彫りが深い。とてもじゃないが、きれいな顔立ちをしていた。白いサマーセーターに紺色のパンツを履いている。髪はやや長く、前髪を分けて垂らしており日に焼けた額が見えた。
薄暗い店内とは対照的に、モデルのような出で立ちがやたらと目立っていた。どこかで見たことのある出で立ちが頭の中でこびりつく。
男は申し訳なさそうにこちらを見ていた。
「すみません。全然気づかなかった……。ありがとうございます」
「いえ、ずっとなにか作業してたから。お邪魔してすみません。……お仕事、大変ですね」
男はにこやかに笑って、横に置かれた資料や本をちらりと見て苦い笑みを浮かべて言った。
「しがない物書きですよ。ミステリーとかお好きですか?」
そういうと、男は少し驚いて柔らかくほほ笑んだ。
「僕もミステリーや推理小説大好きなんです。嬉しいな。あの……、もしよかったら、少しお話しませんか?」
「……え」
新手の新興宗教の勧誘かセールスだろうか。
穏やかに微笑む男に身構えていると、慌てて男は名刺を差し出した。
「あ、いや変な勧誘とかじゃないです。僕、一応医者です。こういう職業なので、ミステリー小説など本の話する人が周りにいなくて、出会えた事に嬉しくなって……図々しくてすみません。迷惑でなかったら、お話を少し伺いたいです」
一枚の名刺を慌てて出し、男はぽりぽりと頭をかいた。慌てるその仕草はまるで悪い事をした大型犬のように見えて思わず吹き出してしまった……。
「……いいですよ、ここ空いてるので座ってください」
笑いながら向かい側の席を案内した。
名刺をみると、ついこの前まで入院していた病院の外科医だった。
名前は菫 蒼と記してある。
「お医者さんですか……」
「……勤務医なので相変わらず薄給で多忙ですけどね。あの、本当は僕達、一度会った事があるんですけど、やっぱり覚えてないですよね……」
じっと深い彫りの中で光る黒曜石のような瞳をみた。
確かにこの印象深い造形には見覚えがある。
「あ! 病院でぶつかった……!」
桐生の不機嫌そうな態度を思い出す。
「あ……ああ……そうです……」
「あの時は本当にすみませんでした。ちゃんと謝らなくて、本当に申し訳なかったです」
そう言うと、一瞬どこか寂しそうな顔をしたがすぐに優しく微笑んでこちらを見た。
「いえ、僕も考え事をしてましたから。……体調は良好ですか?」
菫は来たばかりなのか、店員を呼んでコーヒーを注文した。
「頭も打ったみたいで少し入院が長引きましたが、体調は大分良くなりました。入院先もいい病院で有意義に過ごせましたよ」
「……そうですか、それは良かった」
「先生はここら辺にお住まいですか?」
「……いや、今日は近くに用があって、初めてきました。倉本さんはこちらにお住まいですか?」
菫は目伏せて、コーヒーを口に含んだ。
長い睫毛が印象的だった。
「ええ、ここから15分程歩いたところに住んでます。まぁ引っ越したばかりで、あまりここら辺は詳しくないですけど」
それから先生とはミステリーや推理小説などたわいのない話で盛り上がった。
あまりに楽しすぎたのか、あっという間に夕方になり話している途中で桐生からメールが来ていた。
『早く帰ってこい』
偉そうな文章に呆れたが、夕食を作って待っているのだろう。エプロン姿の桐生を思い出すと笑えた。
「すみません、知人から連絡が来てもう帰らないと……」
「ああ、本当だ。もうこんな時間なんだね、僕も帰らないと……。今日は本当に楽しかった。ありがとう」
そう言って頭を下げて、先生は伝票を手にしすたすたとレジへ向かい会計を済す。急いで、その伝票の内容を思い出して、慌てて会計を止めようとしたが優しく制された。
「ここは僕に持たせて。忙しい中付き合わせてもらったせめても、お礼」
「いえ、駄目です。ほぼ俺の代金なんです」
その伝票にはコーヒー五杯と昼食が含まれている。菫はおそらくコーヒーしか頼んでない。
「いいよ、そのぐらいは稼いでるし」
蒼は遇らうとカードで会計を済まし、笑いながら店をでた。納得いかない気持ちで店からでると、日は傾き暑さが和らいでいた。
ふいに麻痺した足が段差に引っかかり、思わず倒れそうになった。
すぐに横にした菫ががっしりした腕で支え、事なきを得た。掴まれた腕が痛い。
「……っ危なかった……! 痛い所とかない? 大丈夫?」
「すみません、よく足元を見てなかった……」
「いいよ。転ばなくて良かった」
一瞬、引き寄せられて胸の中で抱き締められたのかと思った。ぎゅっと両腕の力を感じる。硬い胸板の感触とムスクの香が鼻を掠めた。
「……先生?」
「……っ……ごめん、ちょっと立ちくらみかな」
菫は軽く苦笑し、ゆっくりと身体を引き剥がした。
「先生こそ大丈夫ですか? 大事な身体なんですから、早く帰って休んで下さい」
「……うん、今日は会えて良かった」
菫は何か言いたそうだったが、それ以上は何も言わなかった。
帰り際、せっかくだからと連絡先を交換し、コーヒーの代わりにランチに付き合ってくれと言われた。一瞬桐生の顔が浮かんだが、ここで恋愛が生まれるわけでもなく、乗せられるままに承諾してしまった。
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