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第12話 帰宅と説法

帰宅すると似合ってないエプロン姿で桐生は憮然と出迎えてくれた。朝よりは機嫌が良さそうだ。 「やけに楽しそうだな……」 「コーヒーを飲んで仕事してきただけだよ」 あえて先生に会ったことは伏せた。 素知らぬ顔で手持ちの荷物を下ろし、洗面所で手を洗う。 「……誰かと会ったりしたのか?」 後ろから声がして、その言葉にどきりとしたが、特にないよ……とにごす。 先生の名刺は財布の中なので、桐生が見ることはない。 もちろんやましいことはない。話しても良かったが、最近の桐生の過保護ぶりを目の当たりにして、面倒なことになりそうでやめた。 やれ、通院にも送迎をすると言い出すし、やれ、仕事は家でしろとうるさいのだ。 だから、逃げるように家を出て、外で仕事をしている。 「……やっと仕事が終わりそうなんだ」 少なからず真実を伝え、横をすれ違った。 嘘はついてない。 「……若干、香水のような匂いがするけどな」 恐ろしく鼻がいい。桐生は目も合わせず、踵を返す。居間にもどって、食卓に夕食を並べ始めた。香水が移ったのか、嘘が、バレたような気がした。 「た、担当だよ……! 今日はこれからデートだって洒落込んでたんだよ。……はは、もしかして嫉妬してる?」 言いながら、食卓に座る。 桐生は無言で、食器を並び終えたのか対座した。 まるで帰宅後に妻から問い詰められ、浮気した夫のような気分だ。気にしないように並んだ夕食を眺めてた。 夕食は真鯛の刺身、サバ味噌、ほうれん草の煮浸し、ナスとオクラの味噌汁など栄養満点で豪華だった。 「……ないといえばある」 桐生はそれだけ言って、手を合わせるとサバ味噌を口に含んだ。 「なんだそれ」 呆気に囚われ、じっと桐生を見たが表情は変わらずむすっとご飯を黙々と食べ始めた。 浮気を疑われているのは目の前に憮然と座る男だ。恋人がいる癖によくもまぁ、そんな期待させる言葉を吐くもんだ。 「兎に角どこで誰に会ったのかは教えて欲しい。犯人が近づいてくるかもしれないし、……携帯にはGPSアプリ入ってるからな」 瞬時、味噌汁を吹き出そうになり火傷しそうになった。 慌てて桐生の顔を見るが、しれっと刺身を摘んでいる。 「なんで、三十前半のおっさんの足取りをそこまで徹底的に追うんだよ……。」 「おまえは俺から逃げた前科があるからな。逃げてればいいが、また目の前で刺されたらトラウマだ。入院代が嵩むより追跡されてた方がマシだろう」 前科といっても、もう贖罪済だ。 刺されたのは自分であって、桐生は被害者ではない。 黙々と夕食を平らげていく桐生に対して、府に落ちない自分は横に並んでいた漬物を噛んだ。 パリパリと瑞々しい。朝とは違い、胡瓜と塩昆布の浅漬けだった。 確かに入院費は限度額まで達したが、そう何回も入院されるとその他の出費も加わり頭が痛い。 かと言って、プライベート丸出しで位置確認されたら堪らない。 「いや、もう大丈夫だろう。ただの通り魔だし、身体だってもう完治してる。それにまた居なくなるなんてないから、安心しろよ」 「……頼むから、もうこれ以上心配させないでくれ」 桐生は低い声で呟くと、箸を置いた。 窓は閉め切りエアコンの音が部屋に響くほど、静まり返った。 「………悪かったよ。連絡しなくて……」 「三年前のように、いなくなるなよ。」 急に気まずい雰囲気になり、胡瓜がボソボソと味気なく喉を伝う。 じっと見つめられて、不意に視線を外してしまった。お互い触れないように避けていた話題になってしまった。 「……もう、いなくならないよ」 「帰宅後、おまえが居なくなったのを知って義孝の側近から聞き出した。金と紙を用意した事も詳細に調べた。勿論、おまえがどこに居るのかも見つからなかったが、俺はずっと探した。……その頃は色々あっておまえに距離を置いてたし、本当に済まなかった。ごめん。俺はおまえには失礼な事をした」 桐生は箸を置き、深々と頭を下げた。 味噌汁の湯気がゆらゆらと2人の間に揺れ、ただじっと下げた頭を見つめた。 距離を置いていた? セフレじゃないのか? 合わないピースがふつふつと頭の中で舞う。 義孝は桐生より5つ上の実の兄だ。 日本有数の残り少ない財閥である桐生家は金融、司法、経済に幅を利かせ、潤沢な資産をあらゆる場面でさらに増やしていた。 桐生 義孝(きりゅう よしたか)はその桐生家の現当主でな筈だ。 桐生に顔立ちはやや似ているが、桐生より凄みと威圧感が増し、思い出すと背筋がゾクゾクと震えるほど怖かったのを覚えている。 「………いいよ。……今はこうしていいのかわからないけど……」 三年前、急に訪れた義孝は桐生に自分がいかに相応しくないか、とくと語った。桐生家がどんなにすごい財閥なのか、次男である桐生に汚点は許されない、天涯孤独で金もない、まして同性の恋人は必要ないと。 散々伝え終えると、金を提示し誓約書を置いて去って行ったのを覚えている。 「……結局、お兄さんとはどうなんだ?」 「……悪い。今はまだ話せない」 誓約書は破り捨てたが、三年前の義孝さんだとしたら、今現在、桐生と俺が一緒に住むのを許してくれる筈がない。 「なら、やっぱりもう一緒に暮らすのはやめた方が良いんじゃないか?おまえだって恋人に早く会いたいだろう。俺はおまえに相応しくないし、正直恋人がいる奴にこうやって尽くされると、……俺は困る」 最後は絞り出す声で言った。 桐生は軽く首を振って瞳を伏せた。気のせいか、長い睫毛が少し湿って見えた。 「…………兄貴とはきちんと決着をつけている。詳細は落ち着いたら話す。ずっとおまえに謝りたかった。あとおまえの傍にいると決めたから……悪いが、暫くでいいからそうさせて欲しい」 桐生はまた深々と頭を下げた。 普段あんなに愛想がなく、淡白そうな桐生が謝っていた。ちなみに桐生は一度も自分に謝罪した事はない。 衝撃というより、もう言葉が出なかった。

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