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第16話 想い人の拒絶
自分はまだ都合のよいセフレとしか思われてるのか……。
先ほどまで起きた朝の行為が余計にそう思わせた。夢うつつのまま、恋人と間違えられたとしてもやり過ぎにしか思えない。
だけどそうさせてしまった自分がいて、言葉がうまく浮かばない。
「――……ッ……!」
悔しくて何度も身体をこすった。冷たくなった肌をふいて、嫌みたらしく畳まれた服を手にとって着替えた。ずっと信用していたつもりが、いや、信頼という言葉を一方的に積み重ねてそれをぶち壊された気分だった。怒りがふつふつと沸きおこる。
着替え終えると待ち構えていたのか、桐生が腕を組んで立っていた。
「悪かったよ」
憮然としたこの表情と声。本当にそう思っているのだろうか。
反省しているように聞こえるが、腕組みをしながら表情は不服そうに見えた。桐生も着替えたのか、ワイシャツにエプロンをつけている。乱れた髪はきちんと後ろになでつけ、なにもなかったよそおいにまた腹が立った。
「……俺は、お前のオモチャじゃない」
そう言って睨みつけたが、効果はない。
髪を乾かすことも忘れ、無言で桐生を避けようと足をひきずりながら横を素通りする。だが、足がもつれたのか、前につんのめりそうになった。
「……っ」
「皐月、あぶない!」
しまった、と思った瞬間、すれ違い様に手首をがっちりとつかまれた。濡れた髪から水滴ぐぼたぼたと床に垂れ、分厚い胸板が頬にあたった。水滴がシャツを濡らし、鈍色じみた円をつくる。
「……ありがとう」
「悪かったよ。俺はおまえを玩具だとは思ったことはない。そう思わせたなら謝る、ごめん」
先程まで優しく触れた大きな手のひらと太い指の力が熱く感じる。どくりと体がまた反応しそうになり身体をゆすって、桐生を振り払った。
「やめろよ。…………俺はむりなんだよ。そりゃ、色々世話になったけど、……あんなことして、俺がふつうでいられると思っているのか?」
絞る声で、かろうじて浮かんだ言葉だけ口にした。自分勝手なのは俺だ。おれおれ、話して、結局は自分がいとおしい。
だけども、頼むから、これ以上、おたがいに間違わないでくれと祈った。
嫉妬なのか罪悪感なのか、とにかく複雑に混ぜ合わされたこの思いは恋じゃない。未練だ。
あと数日で終わるならば、と思ったが、本日限りで終わらせたい。桐生はやさしい恋人のもとへもどるべきだ。
一人は慣れてるし、もう十分に生活できる。
たかが麻痺した足は引きずれば前にすすむ。
寝食ともに過ごして、大変世話になったが代償に恋人と間違えられて、身体を求められるなんてナンセンスだ。
まだ朝7時にもならないのに、漂う空気はどんどんと重く感じた。息すら甘く感じるのは気のせいだ。窓からは雀のさえずりが鳴り渡り、今日も天気はよい。
「……もう、あんな風に触れないようにする」
「うん」
射し込む光のせいで、桐生の顔はよく見えない。
「…………、俺には守るものがあるからな」
柔らかな声だった。
そんな声を耳にしたくなかった。と、いまさらながら思った。自分は、桐生と身体だけ繋げていた関係でしかなく、そんな慈愛にみちたことを口にする男なんか知らない。
ああ、俺は蚊帳の外なんだ。そう思った。
「そうしてくれ。もう俺には触れないで欲しい」
十分だ。
優しさのなかに拒絶が、はっきりと浮き出ている。
朝から、最悪な気分だ。
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