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第27話 兄との確執
突然ともいえる、必然だった。
夜遅くに仕事から帰宅すると、いるはずの皐月がいない。心配になり、なんど連絡しても、その夜から皐月は二度と電話を取ることはなかった。
義孝は、皐月に会い別れるよう誓約書を書かせた。その署名を偽造した借用書で、多額の借金を作らせようとしていた。
だが皐月が誓約書にサインすることもなく、別れることをしずかに承諾したようだった。
その日の詳細を把握した桐生は皐月の住所を辿るが、既に部屋は取り払っており、携帯も解約され、気づいたら全てを断ち切られていた。
出会った頃に見かけた弘前の連絡先を知人を頼りに聞いたが、皐月とは暫く連絡すら取っていなかった。
躰の繋がりしかない桐生にとって、皐月の行きたい場所も、訪れる店も何もかも分からなかった。
それでも諦めず、桐生は仕事の合間を縫って皐月を探した。
怪我などしてないか心配で、無事に生きていればいいと願い、それだけを頼りにあらゆる手段と人手を使い、やっと見つけた時には既に蒼が傍にいた。
桐生は皐月の無事に安堵したが、大きな喪失感とショックを受けた。
それは二度と、皐月は自分の傍に戻らないと察したからだ。
桐生と蒼は社交界で面識こそあるが、実際には話した事はなく、お互いの噂を耳にするだけだった。
蒼の実家はロンドンを拠点にした、ヒュー・ヴァイオレットの一族だった。第一夫人である母親が離婚すると渡米し、母親とそのままアメリカで暮らし育った。
そして母親が在学中に亡くなると、父親に引き取られ再びヴァイオレット一族へ舞い戻った。
だが蒼は世界へ有数の企業を持つ経営とは一線を引き、医療の道へ進み、数年前に日本へ移り住む。ヴァイオレット一族は昔からこの横浜に洋館を構え、日本での通称は菫と名乗っており、蒼もその通称を用いた。
現在は三番目の菫紅葉 がヴァイオレット一族の当主となり、相当な資産を世界各地に持つ大富豪だ。
菫家は兄弟仲も良く、社交界ではどの兄弟も出席すると完璧な容姿と性格の良さと振る舞いに視線が集まった。
そして母親こそ蒼と葉月は異なるが、桐生家の何倍ものある膨大な資産と資金は分割され、公平に兄弟へ引き継がれてる。
骨肉の争いもなく、重い歴史を着々と長く引き継がれていく菫家は有名だった。
その菫家が皐月の盾となり傍についている。
蒼の存在を知ると、義孝は皐月に手をかける事はないだろうと推測できた。
調べるほど、長男である蒼は全てにおいて完璧で、皐月を任せるには十分すぎるくらい適任だった。
完璧な容姿と逞しい肉体、優秀な知能と技量を持ち、優しさを兼ね備えた男に桐生は敵うはずもなかった。
もう少し早く探し出せばよかったと、後悔した。
蒼の存在を知る前に、どうしても義孝の執拗な執着を恐れて、以前から難事件を仕事として渡してた菫紅葉の兄である葉月を頼ってしまったのがそもそもの失敗だった。つい、葉月に皐月と別れた事を話してしまい、義孝の事を口に出してしまったのだ。葉月は心配して、親身に相談を乗ってくれ、義孝の執着を自分に向けようと企てた。
そして菫葉月と付き合う事で虎の威を借るように菫家という姓を利用し、義孝から別れた弟を貶めたという皐月を完全に遠ざけ、遠くで皐月を守る事に徹することにした。そして後から、皐月と蒼が付き合ったと知ってショックを受けた。
東京に戻った皐月を何度か見かけた事があったが、自分には向けた事のない顔で幸せそうに蒼の傍で笑っていたのを見かけた。
蒼と暮らして幸せになって欲しいと心から願いながらも、桐生は皐月を忘れる事ができなかった。
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