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第28話 葉月の助言
葉月は洗い終わったグラスを拭き取りながら、大きな黒々とした瞳で桐生を見つめた。
年齢不詳ながら本当に学生のように見えた。
「でもさ、皐月君には僕の事を隠しても良かったんじゃないかな?わざわざ伝える必要もないよ」
ふと入院中、見舞いの際に持って来たケーキを食べている皐月に聞かれた事を思い出した。
「……皐月は警戒して、俺に誰かいないと近づきもしませんよ」
皐月が意識を取り戻した時、その瞳は桐生を捉えると驚きと怯えの色が浮かんでいたのを覚えていた。
そして誰も頼る人もいない意識不明の怪我人を見捨てるわけにもいかず、下心を見せないよう皐月の警戒を解く為に葉月を使った。
過去にしてきた過ちは記憶と同時に消える事もなく、皐月とはこのまま一定の距離を保つのが最善に思えた。
だが、入院中徐々に顔を合わせる度、皐月との距離が近づいたように思えた。そして、つい魔がさし、やり直したいと言ってしまった。皐月は笑って否定し、桐生はこれ以上告げるのを諦めた。
そして記憶と同時に失った蒼の存在が羨ましかった。自分も蒼の様に忘れられて、また出会いからやり直し、関係を修復させたらどんなに楽なのか、何度も考えた。
「義孝くんは大丈夫なの?」
唐突に、葉月はその疑問を桐生にぶつけた。
桐生は肘をつき、片付けられていくグラスを静かに眺めている。
「兄には紅葉さんにも伝えて、これ以上動けないように手段を打ってます。多分、もう二度と同じ様な事は起こらないと思いますよ」
刺した犯人の足取りは結局掴めず、義孝へ詰め寄ったが証拠がない上に誤魔化された。
しかしながら、蒼と別れ、菫家の力が及ばなくなった皐月が刺されたのは時宜が良すぎた。
皐月の腰の傷はあと数センチずれていたら歩けなくなく所だった。
桐生は足取りが見えない犯人に対し、義孝を疑い、今回の事件を機会に思い切った行動をとった。
まず義孝が隠し持つ資産を徹底的に洗いあげ、タックスヘブンとして使われている口座を見つけ出し、それを口実にこれ以上自分に干渉しない事を約束させた。
さらにその弱味を菫家当主の紅葉にも伝え、約束を破棄した際には菫家からも報復する事を取り付けた。
かつては憧れだった兄、義孝にこれ以上愚かな行為をさせたくなかった気持ちも少なからず残っていた。
「……あと数日の休みが終われば、あの家から出て行きますよ。その後は皐月へ連絡を取る事もしません」
「もしもだけど、蒼兄が皐月くんと付き合い直しても、黙って君は見てるの?」
葉月は笑みを浮かべ、さらに愚問を投げつけてくる。
「……それは皐月が決める事です」
言葉とは裏腹に、本当はあれほど幸せそうだったはず蒼が許せなかった。皐月には蒼の元に戻って欲しいが、本音は違う。
「桐生くんは寡黙な男だけど、何もしないと誤解を生むよ。……皐月くんや義孝くんとの事も含めて、蒼兄さんだって流石に知ってると思うよ?」
「……あの人は皐月の他に好きな人がいて、別れた。知ってるなら手離さない筈です。」
そう言いながら、自分も義孝に似た執着を皐月に抱いていると思った。
「どうかなぁ…蒼兄さんもよく分からないからねぇ」
葉月は溜息をつき、先程から溜まった皿の汚れを丁寧に落とし食洗機に突っ込んだ。
桐生は目の前に用意されたサンドイッチを口に含んだ。ピクルスとチーズが挟んであり、アーモンバターが芳ばしく塗られ、パンもしっとりとしていて美味しかった。
「でも、そろそろウジウジ悩んで黴みたいになってるのをやめた方がいいんじゃないかな。この際、僕が一肌脱いであげようか?」
「……それはやめて下さい」
本気か分からない葉月に桐生は苦笑し、残ったコーヒーを飲みきった。
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