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第31話 不釣り合いな均衡
菫は暫くして来た道を黙々と歩いて戻るといつの間にか元の表情になり、夜勤に行きたくないなぁと不満そうに不平たらたらで電車に乗って、途中で別れた。
本当は急に抱き締められ、前を歩く菫を鳴り止まない鼓動を必死で静止しようとした自分が一番危なかった。
海外育ちでスキンシップが激しい
話題が豊富
誰にでも優しい
頭が良くて、性格も良い
友人のままが一番いい
菫は俺には相応しくない……。
菫の広く逞しい背中を見ながら、抱き締められた腕の感触と甘い香りを思い出しては呪文のように頭に染み込ませた。
ここで勘違いして、深い傷を見るより、友人として傍にいた方がまだ救いはある。
例え付き合ったとして、後で好きな人が出来た、なんて言われたら、辛過ぎる。
そして明後日に控えてる締切を思うと、すでに恋愛をする体力も余裕も残っていない、やはり菫とはこのままでいいと感じた。
勝手に口説かれたと思って、その気になってしまいそうで危うく誤解しそうだった。
それは桐生で学んだ筈だ。
痛い目はみた。
学んで得たものを思い出し、過ちはまた繰り返さないと決めた。
そんな事を電車に揺られながら陳腐な考えに耽けると、あっという間に最寄り駅に到着し、帰宅した。
「ただいま。今日は仕事?」
家には丁度帰宅したばかりなのかスーツ姿の桐生がいた。
「ああ。……おまえは?」
「ちょっとした外出。桐生、夜ご飯どうする?」
「簡単なものでいいなら、今から用意する」
数日間の気まずい雰囲気を補うようなギクシャクとした会話に、桐生は無表情で返答した。
「あ、いや……。そういえば!今日はこの後空いてるか? 帰り道に近くで美味しい居酒屋を見かけたからそこに食べに行かないか?」
そう言って、初めて外食を誘ってみた。
ここ数日の初めての外食の誘いではなく、桐生と出会った数年分の初めての外食への誘いだった。
身体だけの関係だった桐生とは外で食事などした事がなく、誘うのも怖かったが思い切って声をかけた。
「いいよ。いく」
「へ?」
「なんだ。悪いのか?」
少し緊張しながら言ったせいか、予想外の返答に変な声を出してしまい桐生は訝しげに睨んだ。
「いや、なんでもないです。嬉しいです」
昼間沢山食べたが、居酒屋ならつまみ程度に食べれば丁度良い。
「…分かった。少し書類に目を通してからでもいいか?」
「了解です。桐生警視」
戯けながらそう言うと、桐生は少し笑って、また二階に上がった。階段の軋む音が聞こえ桐生に大変申し訳ない気持ちになる。
あれから桐生は二階で寝て、自分は一階の寝室で寝ているが二階にはクーラーがなく、まだ残暑が残る暑さと狭さで、なんだか申し訳なかった。
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