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第32話 葉月と皐月
「葉月さんはどんな人なの?」
近所の居酒屋は平日の夕方のせいか、店内の客人はまだ少なく比較的落ち着いていた。
壁際の奥まった半個室に通され、まずは瓶ビールで乾杯した。料理はだし巻き卵、冷奴、枝豆、シーザーサラダ、焼鳥を注文した。
それから、ハイボール、日本酒をいくつか頼んでしまい、すぐにほろ酔いになってしまった。頬は赤くなり、心地良い酔いに任せて、つい日頃から思っていた疑問を桐生に投げつけてしまった。
「……毒舌で世話焼きだよ」
酒は二人とも日本酒になり、有名な地酒三種を飲んでいた。
「へ?」
「おまえとは違う」
桐生は注文した料理を食べながら、酔った自分とは対照的に顔色も変わらず極めて冷静な表情だった。
目の前の男の好みのタイプなど知るわけでもなく、なんとなく綺麗な顔立ちをした菫の顔を思い出した。
菫は男らしくて色気のある甘いマスクだが、桐生は対照的に雄々しくて切れ長の強い眼光が格好良い。
二人のタイプは恐らく全く正反対なのだろう。
「……そっか。いいな」
酔いに任せた愚問はすぐに打ち切られ、もう触れるなという警戒を敷かれた。
弘前も桐生が葉月さんと付き合ってる事を知っていたので周囲に紹介されて、さらに祝福される相手が羨ましかった。
自分は紹介も祝福もなく、閉ざされた部屋だけの関係で終わったせいもある。
三年前の過去を振り返っても、覆水盆に返らず、後の祭りだった。
恐らく今、桐生の兄義孝も葉月の存在を認めている筈だ。
だからこうして桐生とお互いの杯を交わしても、何も動向がなく静かなのだろう。
目の前の日本酒を煽るように飲んだ。
「……おまえ、あの医者と連絡してるのか?」
不意の質問に手酌の手が震え、酒がお猪口から溢れてテーブルに落ちた。
「え?」
病院でぶつかった時の菫に対する桐生の顔が印象的に残り、桐生にはまだ菫の存在は話していない。
「こないだ電話してたのが聞こえた。あの、ぶつかった医者だろ……。ほら、飲み過ぎだ」
桐生はよく冷えた水のコップを目の前に置き、自分は日本酒を飲んだ。
「……二人は知り合いなの?」
「葉月さんが蒼の弟なんだよ。だから、ただの顔見知りだ」
「は?」
びっくりして、またお猪口から酒を零してしまうところだった。動揺しながら零れた液体を隣にあったお絞りで拭くが、桐生は黙ってその様子を眺めていた。
「……もう、付き合ってるのか?」
菫が葉月の兄という言葉に動揺し、義孝の顔を思い出していた。脳内の思考が一旦停止していたが、慌ててその質問に過敏に反応してしまった。
「付き合ってないよっ……!ほんの少しだけ気になってるけど、向こうには恋人がいるんじゃないかな。そんな気がする。土台、あんな人、雲の上過ぎて、俺と付き合うなんてありえないよ」
酔いと驚きで早口で巻く仕上げて話して、変な気分だった。
頭が上手く働かず、思考の収集が出来ない。
「そうだな、あの医者は他に好きな奴いるみたいだしな」
桐生はそう言いながら、ぬるくなった冷奴を箸で器用に割り皿に分けると口に含んだ。
その所作は菫と同じように美しかった。
そして、振り向いてくれないんだと戯けて笑う菫を思い出し、やっぱりあの言葉は誰か他に向けられたものなのだと痛感した。
「……そっか。うん、分かってた。大丈夫だよ」
まして桐生の恋人の兄だ。
無理だ。
危うく勘違いしそうで、自分の淡い期待は一瞬で泡になった気分だった。
抱き締められた感触を思い出すと、ちょっとした自分へのご褒美に感じられた。
少しだけ楽しめた。
それで良い。
あとは無理だ。
冷たい水を口に含んで、それ以上菫の事を話すのはやめた。
内心は悲哀に満ちていたが、極めて明るくして残りの酒と料理を味も分からぬまま平らげた。
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